アウグウラン・ツァフ |
9月18日の朝は、午前7時40分に起きた。前田くん流に言うと、 「Nature is calling !」 ということで、日の出を眺めながら、朝の仕事をすがすがしくすませた。 北東側には赤い砂岩からなるアウグウラン・ツァフの山並みがひろがっている。空には一点の雲もなく、だんだんと青が濃くなっていく。私たちのゲルのまわりには、200頭以上の羊やヤギがいて、少し離れたところにソガラ氏のお母さんのゲルがあった。ゲルの前には白いラクダがいた。大地は茶色にまばらに草のあるゴビがひろがっている。 東側に見えるアウグウラン・ツァフは、白亜紀後期の砂岩からなる山で、今日はこの山で恐竜化石の見学をする。ウランは「赤」、ツァフは「崖」を意味する。南ゴビには、古生代から中生代前期の山地の間に平原盆地があり、そこにはジュラ紀後期から白亜紀にかけての中生代後期の地層が堆積していて、山地の縁や盆地の中にそれらの地層が露出しているところがある。その中は、しばしば恐竜の化石が発見される。 私の目の前にあるアウグウラン・ツァフ、いわゆる赤い山(ウランウラ)は、この東側のバルンバヤン(西バヤン)から連続した白亜紀後期のバルンバヤン層に相当する地層でできていて、竜脚類の骨やたまご化石の宝庫である。 久しぶりに髭をそり、ヤギや白いラクダの写真を撮っていると、子供たちがゲルから出てきた。そこで、みんなを集めて写真を撮った。前年にも会ったオユンちゃんも元気で、だいぶお姉さんになっていた。 前年にはまだ赤ちゃんで、ふとんにくるまれ縛られて寝かせられていたオルゴンバートルは、よちよち歩きができるようになっていた。モンゴルの遊牧民では、赤ちゃんはこのように動かないようにして寝かされ、このスタイルはオルギーという。 ソガラ氏のお母さんのゲルを訪問し、アイガルをいただいた。お母さんは前年にも増して元気で、私がソガラ氏に昨年送った写真を彼がお母さんに渡さなかったと言って、子供たちをたしなめていた。強そうな顔のソガラ氏もお母さんにかかると、かたなしである。前年の旅で会った一番上の娘さんが、病気でなくなったことを知った。 前年に私がここに来たとき、ソガラ氏の義理の兄が岩場で落馬して肋骨を何本か骨折していた。病院も救急車もないゴビでは、病気やけがは致命傷になる場合がある。とくに子供が病気になった時にはさぞかし大変だろうと思う。このことは、ここに住む人たちの宿命なのだろうが、厳しい冬を生きぬいて、子供たちは元気に育っている。 お母さんには12人の子供たちがいる。彼女は夫とはすでに離別していて、もともとの家族のテリトリーを女手ひとつで、子供たちをたばねて管理しているという。彼女はとても好奇心が強く、私に遠い日本という国のことをいろいろと尋ねてきた。オトゴンさんの通訳で、彼女といろいろな話をした。 家畜とともに暮らす遊牧の生活では、金はほとんど必要ない。食事は、乳製品と羊の肉が中心である。男は日の出とともに出て日没とともにゲルに帰り、女は馬の乳をしぼり、アイラグやチーズをつくる、電灯はいらない。夜に明かりが欲しければラードに芯をさして火を燈す。寒ければ羊の皮をまとい、乾燥した家畜の糞を焚き、必要なものがあれば物々交換をする。 彼らの生活にゴミは存在しない。彼らに馬があれば、ガソリンも車もいらない。土地の所有権も存在しない。唯一価値の基準があるとすれば、それは彼らの生活を支える家畜をどれだけ持っているかということだろう。 |