ソメヤ氏の故郷 |
午前8時ごろから出発の準備をはじめ、ゲルの家族との記念写真を撮ったりして、私たちは別れを惜しんだ。オユンちゃんの家族や、オルゴンバートルとお母さん、ソガラ氏夫妻、それにソガラ氏のお母さん、みんなの笑顔がすてきだった。 モンゴリアン・ブルーの空はどこまでも青く、私たちはバヤンザクに向かって出発した。ソガラ氏は私たちを案内するために、赤いニバに乗って同行した。 西に進んで南に下り、古生代の変成岩からなる山の麓を通る。ここはザクのあるゴビで、2頭の大角羊を見た。山間のザクのある盆地を西に向かうが、とても走りにくい。デュランが7頭走り去る。 ジュラ紀末期から白亜紀初期のアルカリ岩(カリウムやナトリウムの多い岩石)の溶岩からなる岩場がある。西ゴビでいうとツァガンツァフ層に相当する南ゴビの火山活動である。 車から降りて、ハンマーで岩をたたく。崖の上の部分にはリチュウムを多く含む粘土や沸石からなる凝灰岩(火山灰が固まった岩)がでていた。 白色の凝灰岩はとても軽く、建材として使えるかもしれない。この付近は角礫のころがるゴビだ。この付近には石英安山岩溶岩や白色の凝灰岩が岩山をつくっていた。 井戸があり、この井戸で水を補給した。ここは、前年にも来たところで、近くにはソガラ氏の石囲いの畑がある。西に向かって、ゴビを走る。デュランが4頭走る。 また、井戸があり、休憩をとる。井戸の上に長い鉄の棒があり、それをみんなで押しながら井戸のまわりを回って、水を出す。意外と大変だが、みんなで棒を押して水を出す。その水で顔や頭を洗う。 トゥメンバイヤーが、ここは緑ジープの運転手ソメヤさんの生まれた場所の近くの井戸であることを教えてくれた。 「ソメヤさんの産湯の井戸か。」 と、感慨深く井戸の水を飲んだ。 ここから、黒い火山岩の礫がころごろしているゴビの丘を迷走し、何もない黒い原野で車が止まった。 「ここはソメヤさんの誕生の地だ。」 と、トゥメンバイヤーが言った。 ソメヤさんは車から降りて、座り込み、アルヒを天に仰いで地に振りかけた。私は、GPSで位置を出した。 北緯44度23.73分、東経140度27.04分、これがソメヤさんの生まれた場所の位置である。 こんな何もない原野に、かつて人が住んでいたのだろうか。この黒い火山岩は三畳紀の安山岩溶岩で、これはソガラ氏の石囲いの畑の近くに分布していたジュラ紀末から白亜紀初期の火山岩や凝灰岩の基盤をなしている岩石である。 私たちはこの付近で、試掘された蛍石の鉱床を見学し、南に向かった。南ゴビの象徴であるテメ(ラクダ)のモニメントのあるところで、午後1時にランチにした。 この近くには木造の建物はあるものの、誰も住んでいない。そして、その近くにゲルがある。この付近の岩山には、古生代のハンレイ岩や粗面岩が出ていた。 ピンクの草のはえる川の跡を通り、大きな穴がいくつもあいている金鉱山に寄った。 石英の変質した岩石がごろごろ転がっていた。トゥメンバイヤーの説明によると、この石には金が1000ppmも含まれているものがあるらしい。私は、落ちていた石英の塊をこっそりとひとつ拾った。 南西に向かい、岩の突き出るゴビを走る。気温32度、湿度8パーセント。暑い。 午後4時、道を聞きにゲルに寄る。逆戻りする。 |
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