炎の崖 |
午後五時、ソガラ氏の知合いのゲルに寄る。主人はがっしりとした体の初老で、私たちにアイラグをご馳走してくれた。彼はモンゴル相撲のアブラガ(横綱)だった人で、優しい顔だちをしていた。ソガラ氏を明日、サラフラッサヒュド村まで迎えにきてもらう打ち合わせをして、アイラグをいただいて別れた。 ゴビにはラクダや羊がいて、走りやすい道にでた。川の跡を横切ると、ザクと砂のゴビに出た。少し進むと、私たちの前に起伏のある平原盆地が広がった。東西方向にのびる平原盆地の向こう側、すなわち南側に見える崖の連なりが、私たちの目的地である白亜紀の砂岩からなるバヤンザクの崖群「炎の崖」である。 黄色のジープの後輪右側のタイヤに亀裂が入り、空気がぬけている。運転手はトゥメンバイヤーたちの忠告を聞かず、タイヤ交換をせずにそのまま走りだす。 斜面を下り、平原盆地の広大なゴビに入り、南西に走りながら、バヤンザクの炎の崖のほぼ中央に位置する砦岩に向かった。だんだんと崖が近づいてきて、炎の崖が大きく見えてきた。 前年に私がここを訪れた時には、雲が厚く夕日が隠れていたが、日没直前に厚い雲の下に太陽が顔を出して、砦岩の崖だけがうす暗い中に赤く輝いて見えた。 砦岩はほぼ東西の炎の崖群から北側に突き出していたために、日没直前の太陽の光がちょうどスポットライトのようにここだけにあたったのだった。 午後六時半、私たちは砦岩の西についた。空には雲がなく、日没にはまだ時間があった。太陽が相当傾いているためか、空と崖のコントラストが強く、炎の崖はくっきりと浮き出ていて、バックの空は青というより濃紺にちかく見える。 私はまたここに来た。前年とちょうど同じ日に、同じ場所にきた。ちょうど、一年前に同じ赤いニバでつけたタイヤの跡もまだ残っていた。 まだ、日没には時間があったので、砦岩周辺で地層の見学と化石探査をすることにした。 高さ50メートルのこの崖群は、ほぼ水平に砂岩層が重なってできている。アウグウラン・ツァフの赤い砂岩とちがって、ここの砂はそれほど赤くない。 炎の崖と言っても夕日に照らされて赤く見えるだけで、砂自体はどちらかというと細粒の黄色い石英の砂である。砂岩層には生物の巣穴と思われる砂管が密集しているようすが見られた。 私たちは、砦岩周辺で地質調査と化石の発見を試みた。ゴビにはサソリやヘビもいる。とくに日中は、サソリやヘビは岩の下や砂にもぐっているので、岩場での調査のときに石をひっくりかえす時など注意しなくてはならない。 風もなく寒くもなかったので、砦岩を一望できる南西側の平らなゴビをキャンプ地にした。各自好きなところにテントを張り、ビールを片手に炎の崖を眺めながら日没を待った。 濃紺の空に赤い崖があり、だんだんと空は濃紺から青、そして白、ピンクへと色を変え、崖の麓に影ができた。そして、砦岩は夕日に照らされて、山の頂だけが赤く燃えた。そして、崖は影に覆われ、やがてすべてが闇に覆われた。 |