ゲルの夜 

 午後六時半ごろにゲルに戻ると、ファイヤーストームの用意がされていた。少し疲れたが、井上くんとタコ揚げに挑戦した。今回の旅では、私はぜひ風の強いゴビでタコを揚げようと思っていた。そこで井上くんと打ち合わせて、わざわざ日本からタコを持ってきたのだった。

 しかし、いつもは風の強いゴビも、今日はほとんど風がなく、タコがなかなか揚がらない。オユンちゃんも来て、いっしょにタコ揚げをしたが、やはりなかなかうまくいかなかった。タコは集まってきた子供たちにあげて、タコ揚げは彼らにまかせることにした。

 オルゴンバートルが裸で走りまわっていた。ゴビの子供たちは寒さになれさせるために夏にあまり服を着せないらしい。夕食までの間、私はソガラ氏のお母さんのリクエストで日本のことを彼女に話した。井上くんはオユンちゃんと折り紙をしていた。

 オユンちゃんが、シャガイとよばれる羊のくるぶしの骨(踵骨)でつくったサイコロを持ってきた。羊のくるぶしは少し大きいサイコロの大きさで四角く、その四つの面にはそれぞれヤギ、羊、馬、ラクダという名前がついている。シャガイを四つ振って、それぞれの面の出かたで点数などが決まる。このようにシャガイはサイコロにして遊んだり、それを弾いておはじきのようにして遊ぶ。シャガイは、夜や寒い冬にゲルの中での子供たちの唯一の遊び道具である。

 夕食は、ヤギの肉を用意してくれた。ゲルで生活する人たちにとって、訪問客はめったにない。そのため、我々のような訪問客には最大の歓迎をしてくれる。その歓迎の形のひとつが羊やヤギの料理である。羊やヤギは皮を剥され、しかし血は一滴も出さずに解体される。彼らは大地を血でけがすことを極端に嫌う。

 肉はすべて煮て料理される。モンゴルでは肉は決して焼かないし、香辛料も使わない。魚や鶏の肉、玉子は食べない。ボイルされたリブ(肋骨の肉)が大きなアルミのたらいに入って出てきた。これはハビラガという。一本とってナイフでそぎながら味わいながら食べた。夏の時期にはあまり肉は食べないらしく、久しぶりのご馳走に子供たちはうれしそうに肉をほおばっていた。

ファイヤーストーム 食事を終えて、ゲルの外が十分に暗くなり、ファイヤーストームに火がかけられた。それを囲んで、南ゴビの家族と私たち訪問者全部で25人ほどいるだろうか、交互に歌を歌って歌合戦がはじまった。そして、全員で「アブラハミーは七人の子・・・」やモンゴルのダンスも踊った。こんな楽しいファイヤーストームは久しぶりだ。

 私は今、南ゴビのまんなかで、モンゴルの人たちと手を握り、肩を組んでいっしょに歌ったり、踊ったりしている。言葉はあまり通じなくても、私たちは十分にコミュニケーションがとれて、いっしょに楽しい時間を過ごしている。火は赤々と燃えて、私たちの歌声と笑い声は、ゴビの暗闇に響きわたった。

 ゲルにもどり、おみやげにもってきたアルヒをあけて飲みはじめる。アルヒはモンゴルのウォトカ(小麦からつくった蒸留酒)で、アルコール25パーセントくらいの酒である。「清い酒」と呼ばれるように、すきとおった混じりけのないアルコールという感じで、とても飲みやすいウォトカである。アルヒはシミンアルヒ同様に銀盃になみなみと注がれ、右手の薬指につけて、天と地の神に捧げ、一気に飲みほす。のどがカァーと焼ける。

ジャンケン大会 ゲルの中では、みんなでジャンケン大会となった。モンゴルのジャンケンは、親指が人指指に勝ち、小指は親指に勝ち、薬指が小指に勝つというように、指ジャンケンで、小指の中指のようにお互いにあわない指を出したらあいこである。二人で声を出して指を出し合う。負けた人はアルヒを飲まされる。

 ゲルの右側と左側に座ったグループで、大モンゴル・ジャンケン大会となり、つづいて日本のジャンケンで楽しんだ。日本のジャンケンについては、前年に私がみんなに教えていたので、モンゴル側もなかなか手ごわかった。

 そして、夜遅くまで、
 「ジャンケン・ポイ! アイコデショ!」
 の掛け声が響きわたった。


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