イエローゴビ |
私たちはまた、広大なゴビの平原盆地を北に向かって進むことになった。この平原盆地は水の流れていないオンギュン川の川筋にある盆地で、360度の視界に低い蜃気楼の山並みはあるものの、地平線が続いている。乾いた熱風が砂とともに車窓から入ってくる。午後3時、気温34度、湿度6パーセント。 腹の白い小さな鳥が、車に驚いて飛び立つ。さながら海の飛魚のようである。南に下るトラックとすれちがう。東前方に山地が近づく。盆地の幅がせまくなって、西側の山地もはっきりと見えてきたが、川跡の幅は数十キロ程度ある。 南西からの強い風が吹きはじめた。私たちはすでに北北西に進んでいる。私たちの車はオレンジ色の入った黄金色のゴビ(イエローゴビ)の中に入り、ゆるやかだが、順調に高度をかせいでいる。ラクダが20頭いる。トゥメンバイヤーは、北東に入る道を探している。しかし、10分ごとのGPSの位置をおとしている私の地図では、そのポイントはすでに過ぎ、私たちはそこよりだいぶ北西のシャイハン・オボー村に向かっている。 東西の高まりと盆地があり、道は山地にさしかかった。ザクのあるゴビで、道はだんだんと悪くなる。午後5時、シャイハン・オボー村に着く。風がとても強い。ガソリンスタンドでガソリンの補給をしようとするが断られる。道を聞き、北東へ向けて道をたどる。草の量も丈も少し高くなり、私たちはどうも南ゴビからミドルゴビに入った感じがする。 電信柱のある道を行く。数週間前まで泥沼だったような草のない泥の低地に入り込み、そこから出て茶色の草の平原盆地を北東に向かって走る。この付近には北に傾く地層がところどころに露出しているものの、起伏のある低いザクのあるゴビである。 トラックが反対側から来たので道を聞き、どこか先の村でガソリンの補給ができるか聞く。さらに行くと、トラックがオーバーヒートしてとまっていた。今回の旅でも、故障したトラックや、タイヤをなおしている人たちを何度か見た。彼らは車がなおるまで、同じ場所で何日も動けなかったにちがいない。 日本人では考えられないほど、気の長い話である。しかし、モンゴルでは普通のことで、おんぼろの車しかなく、その上ガソリンもない。道もない。そんなことは最初からわかっている。彼らは、時間よりも空間と人の心を大切にする旅人なのである。 洗濯板の道や、ゆるやかな斜面の道、低いザクのあるゴビをぬけて、井戸のあるところで水を補給した。 走りはじめた車は、まさに競争しているように、起伏のあるミドルゴビを突っ走る。ドライバーのバトゥセンゲルさんは本気になってモンゴル・チャンピョンの実力をだしている。ルームミラーに写る目は真剣そのものである。思わず私は両足をふんばった。 ウランバートルまで、300キロ。 黄色のジープの井上くんと前田くんがトランシーバーを使って歌を歌い出す。オトゴンさんもモンゴルの歌を歌ってくれた。お返しに私も、 「風にふるえる、緑の草原〜・・・・」 と、加山雄三の「旅人よ」を歌う。トゥメンバイヤーにもリクエストがきて、トランシーバーに向かってモンゴルの民謡を歌う。 2台の車で歌合戦をやっている間に、すでに時刻は午後7時半になっていた。トランシーバーからは、 「腹へったよ〜!」 のコールがあり、日没も近い。 午後8時、前を走っていた緑のジープが道から左に入って止まった。左前のタイヤがバーストした。パンクである。すぐに、先を行っていた黄色のジープにトランシーバーで知らせた。引き返してきた運転手は不機嫌だった。きっとお腹がへっていたのだろうと、井上くんが彼の肩をもむ。 「手がモンゴル人になった。」 私たちの手の内側は白く、外側は汚れと日焼けしてまっ黒で、まるでモンゴルの人の手のようになった。私と前田くんは自分の手を見て笑った。 タイヤの修理もあるため、今日はここでキャンプとなった。暗くなってからの食事の支度は大変で、それにここは南ゴビとちがって少し寒い。ごみなどを燃やして焚き火をした。井上くんは、風邪ぎみで、熱があり、食欲もなかった。しかし、星が見えてくると元気をとりもどした。そして、とても大きな流れ星を見て感動していた。 私たちは、ひとりひとりのテントを用意して旅に参加していた。そのため、南ゴビでゲルに寝た以外はキャンプ地では各自のテントをはって、その中にマットを引いて寝袋の中にもぐり込んで寝ていた。 |