最後のランチ |
午前7時15分、まだ外は日の出前だった。気温2度、湿度24パーセント。 朝食をして、午前9時少し前に出発した。天気は晴れ、北側の空には薄い雲がかかっている。 少し行くと、エルデネダライという町に着いた。花を積んだ馬車やタクシーも行きかっている。ガソリンスタンドでガソリンの補給をした。 前田くんと井上くんは、ウランバートルで買ったモンゴル語会話の本を片手に、オトゴンさん相手にモンゴル語会話に挑戦している。旅の最初のころは、同じジープに乗っていても、お互いに会話できなかった三人だったが、三人の明るい性格とモンゴル会話の本や歌合戦でコミュニケーションを妨げる垣根がなくなったようだ。それにしても、井上くんのモンゴル語会話はオトゴンさんの指導もあり、名古屋弁なまりはあるが、だいぶ上達した。 ガソリンスタンドでは、トゥメンバイヤーとドライバーのバトゥセンゲルさんがニバの左後輪の修理をはじめた。この車は、前年といい、今年の旅でも私を乗せてゴビを走りまわってくれた。まだ四万キロも走っていないが、スピードメータも壊れているし、ワイパーも動かない。しかし、今はスピードメータもワイパーもとりあえず必要ない。 ロシアの車は壊れやすい反面、構造が簡単で、しかも部品が手に入りやすく、このように自分で修理することができるので、ゴビでは適しているそうだ。 その町から出て、暗緑色の岩が黄色と黄緑色の草原の中にところどころ顔をだす山道に入り込み、平坦なミドルゴビの平原盆地を砂煙をあげて北東に向かう。ゲルが視界の中にいくつも見えてくる。南ゴビとはちがい、人口密度が高くなってきた。 ゆるやかな起伏のあるミドルゴビは、砂漠やザクの低木のある南ゴビの道とくらべるとまるでハイウェイである。その揺れにあわせて、トゥメンバイヤーが居眠りをはじめた。彼は昨日もタイヤの修理などで夜遅かった。 午前10時、ゴビで最後のアイラグとシミンアルヒを仕入れるために、ゲルに寄った。ウランバートルでは、地方のゲルでつくるアイラグやシミンアルヒが手に入りにくいので、ここらあたりでお金を出してでも分けてもらおうとした。しかし、ゲルでは断られてしまった。 南ゴビの人はとても親切だが、北に上がってくるにしたがい人も多く、町や村もあり、人情も変わってくる。 「Gobi people is much better.」 と、トゥメンバイヤーは言った。 大きな丘をのぼり、白い岩の露出するところを過ぎ、小さな湖があった。さらに、平原盆地を走っていると、ゲルがある。もう一度、トライする。今度は私もついて行って、ポラロイド写真のサービスをつけることにした。 ゲルではいつものとおり、挨拶とアイラグをいただき、世間話からはじめて、私たちの提案をゲルの家族にした。商談は成立。ゲルの家族はそそくさと他の家族を呼び集め、正装をして、草原の写真屋の前に立った。写真屋とそのモンゴルの友人はアイラグとシミンアルヒを手に車に戻った。 ほかの車は、峠のオボーのところで私たちのニバを待っていた。そこからは平原盆地に向かって広い草原を下っていく。子供のころに見た田舎のバスを思い出す。 「田舎のバスは、オンボロぐるま〜」 と、歌い出す。 平原盆地を突っ走る。風を切る音がピューピューと鳴る。野ねずみが車に驚き穴に逃げ込む。行きには、私たちは東側の山側に沿った道を南下した。イフ・ハルハンに続く山並みが左前方に見えてきた。 前田くんがトランシーバーで、 「ランチ、どうする。」 と、尋ねてきた。 風が強いので、左前方に見える西側の山かげで、ランチにすることにした。私は急に腹が痛くなり、ランチの場所に着くと同時に車から降りて、白い花崗岩の岩かげにもぐりこんだ。おそらく、さっきのゲルで飲んだアイラグがきいたのだろう。最後だというので、調子にのって一気にたくさん飲みすぎた。 馬に乗った若者が二人来た。遠くの方に羊を追って馬に乗った人が行く。私たちは草原での最後のランチと、モンゴルの遊牧の風景を楽しんだ。 |