ウランバートル |
ジェット機はウランバートルに近づき、旋回をはじめた。12時45分(モンゴルの時刻で13時45分)、私たちの乗った中国航空公司のボーイング747機は、草原の中の飛行場、ウランバートル空港に着陸した。離陸から着陸までほぼ2時間の旅だった。 空港では、トゥメンバイヤーと奥さんのトガラクさん、それとJICAの専門家としてウランバートルに来ている坂巻幸雄さんが、私たちを迎えてくれた。空港の雑踏の中で、お互いの簡単な自己紹介をすませた。私は前年の調査のときにいろいろとお世話になった坂巻さんと少しお話をして、彼と再会の約束をして別れた。 トゥメンバイヤーは私たちのために、一台のワンボックスカーとドライバーを用意してくれていた。それに荷物と私たち、それにトゥメンバイヤー夫妻が乗って、私たちのモンゴルの旅がはじまった。 空港から町に向かう道路の両側の草原には、羊や牛、それに人もいて、ウランバートルに着いたという実感がわいてきた。門を二つくぐり、セルベ川にかかる橋を渡り、バヤンゴルホテルの前をとおり、劇場、平和大通りを横切って、通りを東側に進み、私たちの宿舎となる「FLOWER HOTEL」に着いた。このホテルは最近日本のある企業が経営しはじめたもので、古いホテルを改装し、新館も増設していた。 ロビーのカウンターでは、若いふたりの女の子とひとりの青年が私たちを出迎えてくれた。その女の子が、流暢でしかもきれいな日本語で私たちに話しかけてくれたのには、とても驚いた。顔も日本人にとても似ているので、まるで日本のホテルに来た感じで、一同気持ちがとても和らいだ。 「わー、日本語がうまいね。日本に行ったことがあるの。」 と、聞いてみたが、日本には行ったことはなく、学校で習ったということだった。 トゥメンバイヤーとホテルのチェックインをすませ、メンバーそれぞれは部屋に荷物をおいて一段落した。 ホテルのロビーでトゥメンバイヤーと落ち合うと、彼はオトゴンチメグさんという若い女性を私たちに紹介してくれた。彼女は彼の会社の秘書で、今回の旅では英語の通訳として私たちと同行するという。きゃしゃな体に紺のスーツを着た彼女を見て、私は少し心配になり、私は彼女に、 「ゴビに行ったことがありますか。」 と、尋ねてみた。すると、彼女は、 「私は中央ゴビの生まれで、ゴビには何度も行ったことがあります。先月もトゥメンバイヤーと1ヶ月間カナダの調査隊と旅行してきました。」 と、自信をもって答えたので、私は安心した。 私たちは、ワンボックスに乗って博物館に向かった。自然博物館では、前年の旅で賄いをやってくれたサンペルガバさんが私たちを待っていてくれた。サンペルガバさんは50才くらいの女性で、アカデミーの図書館の司書をしている人で、ゴビの調査旅行には賄いとして何度も参加しているベテランである。私たちの今度の旅にも賄いとして参加するという。私とサンペルガバさんは再会とまた旅をともにできることをお互いによろこびあった。 彼女は私たちを、数体のタルボサウルスや高さ12メートルもあるサウロロフスの全身骨格が展示してある「恐竜ホール」に案内してくれた。そこには巨大な腕と爪をもつデイノケイルスや映画「ジュラシック・パーク」にも登場したガリミムスなどの組み立てられた化石が高い天井のホールに並んでいた |