5. 水成論と火成論 |
5-1.モロの火成論 |
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ステノは,層序学的な基礎を築きましたが,岩石の分類や地質形成過程の解釈では誤った解釈を行いました。山脈は地下のほら穴が崩壊した結果形成されたことや火山は新しい岩石を生産するところでないという主張を支持しました。この考えに対して火山の重要性を強調したのが,18世紀のはじめに初期の火成論をいわれるモロです。 モロは,1740年の著書で,島を形成する火山の例を集め,島の形成には火山噴火が主要な部分を占めていることに確信をもち,彼はすべての島や山脈が火山の噴火によって形成したと論じ,火山噴火の説明を聖書にたよりました。このような誤った解釈は,彼のデータが本からのものであることと,火山についての科学的な観察や分類がなされていないことに原因がありました。 5-2. デマイエの火山研究 1780年にフランスのゲッタードはフランス南部の火山についてのモノグラフを著しました。これは,野外調査と現在の火山との比較をもとにまとめられたものでしたが,彼は玄武岩が海水から化学沈澱してものという誤った解釈をしていました。 やはりフランスのデマイエは,30年間にわたり火山の研究を行い,火山丘や溶岩流,火山のいろいろな形態を観察しました。その成果は,1774年から1806年の間に公表され,彼の調査した火山の噴火史を明らかにし,玄武岩が熱くて流れた溶岩流によって形成されたという正しい解釈を行いました。 彼の業績は,宗教上の教義やすでに確立されているモデルを基礎におかず,野外における自然現象の注意深い観察によってもたらされたもので,当時としては大変卓越したものでした。 5-3. ウエルナーの水成論 1749年にドイツのザクセンに生まれたウエルナーは,フランベルク鉱山大学の教授となり,彼のカリスマ的な人格は当時の科学的思想に大きな影響を与えました。彼は,論文を書くことがあまりなかったのですが,数多くの弟子を育てました。 彼は,それまでデカルトやライプニッツが述べてきた地球生成説,すなわち地球は灼熱体で次第に冷えて固まり,水蒸気が雨となり始源の大洋をつくったという説を発展されて,地球の形成を論じました。彼は,エルツ山地周辺の各種岩石の分類記載を行い,それを始原岩類,漸移岩類,成層岩類,二次(沖積)岩類,火山岩類の順に分類し,この層序が世界中どこでも通用するものとして一般化しました。 始原岩類は花崗岩や変成岩にあたり,これらは地球の中核をなすもので,漸移岩類からは化石を含み,成層岩類は石炭や岩塩などがあり,玄武岩なども含んでいました。二次岩類は砂礫層で,火山岩類は地下の石油が燃えて岩石が地上へ流れだしたと考えました。彼の考えは世界的に普及しましたが,花崗岩や変成岩,玄武岩も堆積岩(水溶液から結晶作用によって生じたもの)と見なしたことから,彼の考えは水成論と呼ばれました。 イギリスのエジンバラ大学のジェイムソン教授はヴェルナーの強烈な信奉者で,ヴェルナーの学説を説きつづけ,1808年にはヴェルナー協会を創立し,水成論の普及に努めました。 5-4. ジェイムズ・ハットン 1726年にイギリスのエジンバラで生まれたハットンは,エジンバラ大学で人文学を学びましたが,論理学のスティブンスン教授の影響をうけて,化学に強い関心をもちました。1743年,ハットンは弁護士を志し,法律の勉強をするかたわら化学実験を行っていました。1744年にふたたびエジンバラ大学にもどり,こんどは医師をめざしました。彼は化学と解剖学を学ぶために,1747年にパリにわたります。 この時に地質学の講義を聞いて,地層や鉱物について興味をもったといわれます。1749年にオランダのライデン大学で学位を取得しました。彼の学位の研究テーマは,血液の循環に関するものでした。 エジンバラにもどったハットンは,農業の研究を一生の仕事とします。1752年,ハットンが26才の時に,農業技術を本格的に学ぶためにノーフォークとサーフォークで農業実習を行います。ここでハットンは,イングランドの地層や岩石に接します。ハットンは,農業経営のかたわら,各地を旅行し,地質学への関心を高めていきました。 1785年にハットンは,エディンバラ王立協会で発表した「住むに適した地球というシステムと安定性に関する研究」という講演を行い,その後精力的な野外調査を行い、1985年に「地球の理論(証拠と解説)」を出版しました。 その中で彼は,実際の現在の地球を調べることの重要性と,地球はひとつの有機的な機械と考え,地球の発展の原動力として地下熱に注目し,地殻変動や火成活動の検討を行いました。この点は,ハットンと同時代に産業革命の中心地イングランドで活躍した経済学者のスミスのや蒸気機関の発明者であるジェームズ・ワットの影響がうかがえます。 彼はスコットランドで花崗岩と周囲の岩石との接触関係をくわしく観察し,岩脈や熱変成帯の存在を明らかにし,水成論に対する彼の火成論の基礎をつくりました。火成論とは,地球内部の火の力を重視し,マグマの貫入固結あるいは流出などによって花崗岩や玄武岩ができるというものです。 火成論ではすべてがマグマからできたとするのではなく,堆積岩の形成については水の役割を重視しています。ハットンはまたはじめて不整合を発見した人で,彼は地殻運動の証拠として不整合を認識していました。 ハットンの理論は当時の人々にはかなり難解であり,19世紀になってプレイフェアの「ハットン理論と解説」が出版されてはじめて人々に広まり,ライエルによって発展させられました。この意味で,ハットンは「近代地質学の創始者」と呼ばれます。
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最終更新日:2000/05/06
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