ニューヨーク |
成田から12時間の窮屈な飛行機の旅で着いたニューヨークは、東京とほぼ同じくらいの寒さで、雪もなかった。J.F.ケネディー空港からバスでイーストリバーを渡り、マンハッタン島に入った。 マンハッタンは、碁盤の目のように道が通り、南北の道がAvenue(街)で、東西の道がStreet(丁目)という。34 Streetから南はDowntownで、34〜59 Street の間がMidtown、それ以北がUptownと呼ばれる。私たちは、マディソンスクエアガーデンと向かい合う、7 Avenue から8 Avenue の間の34 Street付近にあるホテル・ペンシルバニアという、昔はそこそこだったというホテルに泊まった。Streetに出るとエンパイヤステートビルが見えた。 部屋に入ると、バスタブがないのに気がついた。隣りもないのかと思うと隣りにはバスタブはもちろん冷蔵庫まであった。しかし隣りの部屋では入口に電気がなかった。 夕食は、ホテルの周りをぶらつき、近くのコンビニというか果物屋?惣菜屋というか、ビールも売っている重宝な店があり、そこでビールと適当に計り売りしている惣菜をひとり10ドルでテイクアウトした。それを、ホテルの部屋で隣りの住人も含めて、トランクをテーブルに最初のパーティーをした。 ニューヨークの第一夜は意外と安く、気楽にすんだ。ニューヨークは意外とコンビニエンス、過ごしやすいかもしれない。ニューヨークの町では、英語以外のいろんな言葉を聞いたし、いろんな国からの人が混在した町という印象を受けた。 翌日の1月15日は、アメリカではキング牧師生誕祝日で博物館のキューレータ等が休日で、アメリカ自然史博物館を公式訪問?したが、広報部の職員が私たちに対応した。事前に送っておいた質問に対しては、多数のコピーの入ったファイルが渡され、それに記してあるとの説明を受けた。午前中は、1階の展示室の一部をボランティアによるガイドツァー、ガイドのポランティアの方はこの仕事にとても誇りをもっていた。ガイドツァーの最後に広報部の方をまじえた短い質問の時間がもたれた。 午後は、自由見学となったが、2000年2月にオープンした「地球と宇宙に関するローズセンター」の中にあるスペース・シアターでプラネタリュウム・プログラムを見学した。そのあと閉館まで、1995〜96年に改装された4階の化石および恐竜展示を見学した。それで見ることができなかった残りの展示と4階の展示をさらに十分に見学するために、翌日の午前にもアメリカ自然史博物館を見学した。 ニューヨークの地下鉄は危険だ、と言われているが、私の乗った区間が限られていたかもしれないが、乗ってみると、落書きを消した跡がついていたが、雰囲気は東京の地下鉄とそう変らなかった。 ただし、2日目に博物館に行くのに、オレンジの車体のB線に乗るところを、同じオレンジの車体だったので間違えて快速のD線に乗ってしまい、81 Streetを通り越して125 Street、すなわちハーレムまで行ってしまった。ホームには、黒人ばかりだっで、少し不安だったが、みな親切な感じだった。来てしまったものはしかたがないと、あわてて引返した。そんなこんなで、時間があればと予定していた朝のセントラルパークの散歩ができなくなってしまった。 |
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登録日:01/03/31