東海地震はいつ起こるか

2012/11/15 掲載
 柴 正博

「ぼしゅうちゅう」143号(2012年10月11日発行)に掲載,一部修正


はじめに

 すでに35年起きていない「明日にも起こる!」と言われつづけている東海地震はなぜ起きないのでしょうか。なぜ起きないかということの検証なしに、2011年に起こった東北地方太平洋地震(3.11)以降、最近では東海地震が単独で起こることはなく、「南海トラフ付近で起こる超巨大地震」とほぼ同時に発生するのではないかとの見方が強まり、「東海地震」という言葉自体をあまり聞くことがなくなりました。

 いったい35年前に想定されていた「東海地震」とはどのようなものだったのでしょうか。ここでもう一度復習して、東海地震はいつ起こるのか、または起こらないのか、を検討してみたいと思います。そして、海溝型と言われる大地震も含めて地震はどこで起こっていて、どういうものなのかを考えてみたいと思います。

東海地震とはなにか

 南海トラフ(西南日本海溝)の陸側斜面で起こる地震については、約40年前の1970年代はじめに地震学者によって、震源分布から四国足摺岬から駿河湾にかけてAからEの5つの震源領域に区分されました。この震源領域の区分は震源の集中などをもとに、海底地形や地質の情報が描かれていない白地図の上に、領域が設定されたものです。Aは四国の足摺岬と室戸岬の間の土佐沖、Bは室戸岬と紀伊半島の潮岬の間の紀伊水道沖、Cは潮岬と三重県の大王岬の間の熊野灘、Dは伊勢湾沖、Eは遠州灘から駿河湾という領域でした(図1)。


 図1 フィリピン海プレートの沈み込みにともなって発生するプレート境界地震の推定震源域の位置.A〜Eが東海地震および南海地震,Fが関東地震の推定震源域を示す.矢印と数字は本州に対するフィリピン海プレートの進行方向と速度(小山,2008).

 この震源領域のうち、1944年に発生した東南海地震はCとD領域に当たり、その2年後の1946年に発生した南海地震はAとB領域に当たるとされました。そして、E領域だけが1940年代に地震が発生しなかったために、1970年代はじめから、遠州灘中部から駿河湾にかけてのE領域を震源域とする巨大地震の発生が警戒されるようになりました。

 そして、1976年に石橋克彦氏によって「駿河湾地震説」が提唱され(石橋,1977)、地震学者の多くが東海地震の発生の可能性を強く主張しました。1978年には「大規模地震対策特別措置法」が制定され、その中で静岡県下を中心とした「地震防災対策強化地域」が設定され、体積歪計やGPSなどの観測機器を集中して設置することで、世界でも例を見ない警戒宣言を軸とした「短期直前予知を前提とした地震対策」がとられることになりました。

 小山(2008)によれば、東海地震は本来、熊野灘から駿河湾にかけてのC,D,E領域を震源域とする巨大地震を指し、E領域のみを震源域とするものは「想定東海地震」または「駿河湾地震」と呼ぶが、前述の経緯から現在では遠州灘中部から駿河湾にかけてのE領域のみを震源域とする地震を「東海地震」とよび、C〜D領域の地震を「東南海地震」とよぶとしています。

明日起こるとされた東海地震の不思議

 「駿河湾地震説」を提唱した石橋氏は、一般向けの説明に「53枚のカードを3年に1枚の割合で41枚までめくったが、まだジョーカー(大地震)が出ていない。残りは12枚しかないから次に出ても少しも驚くにはあたらない。」とトランプにたとえてその危機感をあおりました。しかし、1976年8月の第34回地震予知連絡会会合で浅田 敏氏は、「部会各委員によると、駿河湾は独立で地震は起こさないという意見もあり、そうだとすると次の地震は100年後かもしれない。10年以内に地震が起こるか、100年後かを今のところ地球物理学的には決定できない。」と報告しました。それにもかかわらず、南海トラフ沿いの巨大地震の中で東海地震だけが明日にも単独で発生する可能性は否定できないとして、今日まで「東海地震は起こる」として対策が進められてきました。

 しかし、「明日起きても不思議ではない」という東海地震は、今日まで35年間発生していません。このことから、10年前ころから東海地震が再検討されました。そして、歴史的にE領域だけが単独で震源域となった地震は知られていないことと、E領域のひずみの蓄積量が少ないらしいことから、東海地震は単独で発生する可能性がきわめて少ないという意見が多くを占めてきました。

 これらのことから、中央防災会議の「東海地震に関する専門調査会」は、2001年12月の最終報告の中で、「東海地震はいつ発生してもおかしくないものであるが、今後、相当期間同地震が発生しなかった場合には、東南海地震等との同時発生の可能性も生じてくると考えられる。今後の観測データや学術的知見の蓄積を基に、10年程度後には、これらの関係について再検討する必要がある。」として東海地震が単独で発生しない場合の言い訳を明示しました。そして、その結果、東海地震の想定震源域を否定するのではなく、想定震源域に東南海地震の震源域である西のD領域を含めて拡大させてしまいました。

 東南海地震等とは、1944年と1946年に発生したA〜D領域に発生した東南海と南海地震のような地震を指し、それらはほぼ100〜200年間隔で起こっているとされています(図2)。安政東海地震(1854年)や宝永東海南海地震(1707年)、明応東海南海地震(1498年)では東海地震の想定震源域であるE領域も震源域に含まれたと推定されています。しかし、地震計のなかった時代の震源決定は、文献等の被害記録に頼らざるを得ず、信頼できる震央の位置が得られているとは考えられません。遠州灘から駿河湾にかけてのE領域では、過去に本当に大地震が起きていたのでしょうか。


図2 歴史上の東海および南海地震の推定震源域(A〜E)(小山,2008).
 
海溝型地震はどこで起こる


 海溝型地震は、一般に言われている説明では、海溝での海洋プレート(岩盤)の沈み込みにともない、海溝陸側斜面の地下で発生する地震で、沈み込む海洋プレートに押されて陸側のプレートにひずみが蓄積して陸側が跳ね上がり、地震断層を発生されて地震が起こるとされています。そのため、プレートの沈み込み帯に沿って、どこでも地震が起こることになっています。したがって、遠州灘から駿河湾にかけてのE領域では、大きな地震が起きていない、いわゆる空白域だったことから東海地震の発生が想定されました。

 しかし、プレートの沈み込み帯でどこでもマグニチュード(M)が7〜8(ときにM9に及ぶ)地震が起こるのであれば、なぜそれは海域だけに発生するのでしょうか。プレート境界は陸上にも延長されていますが、なぜ南海トラフの陸側延長域(図1のEとF領域の間)で震源域が想定されていないのでしょうか。また、プレートの沈み込み帯で地震が起こるとするならば、地震はどこでも起こるはずなのに、なぜ震央の分布が集中する地域があるのでしょうか。

 海溝型の浅発地震の震源分布の特徴と海底地形との関係について、1960年代末に地震学者(田,1968)と地質学者(星野,1969)によって別々に、地震は深海平坦面(海段または前弧海盆)の分布と深く関連していることが述べられています。

 田(1968)は、海段の内縁と外縁、それと海溝との距離別頻度分布をもとに、海段の縁辺に震央が集中することを指摘しています。図3は田(1968)によって示された、1926年〜1965年までの深さ60km以浅でM6以上の地震の分布と海段(深海平坦面)の分布です。昭和の南海道と東南海地震は、熊野灘の深海平坦面の縁辺の地下で発生していて、深海平坦面のない遠州灘沖では大きな地震は起きていません。


図3 田(1968)の海段の分布と震央分布.

 星野(1969)は、深海平坦面の発達と極浅発地震(10km以浅)の震央分布の関係から、ただ1段の深海平坦面が発達しているところに極浅発地震が多発し、土佐湾のように2段の深海平坦面が分布するところや遠州灘のように水深の異なる何段かの深海平坦面が分布するところでは極浅発地震がまったく発生していないことを述べています。そして、新第三系の堆積盆地が孤立して盆地状に発達し、しかも1,000m以上の厚い地層をもっているところに極浅発地震が発生すると述べています。

 遠州灘沖には、新第三系の地層は分布するものの、盆地状に厚く分布せず、また海底地形も1段の深海平坦面から構成されていないことから、遠州灘沖はもともと地震が起こる場所ではなかったのではないでしょうか。すなわち、そのことが、東海地震が35年間起きなかった理由ではないでしょうか。
 
東北地方太平洋沖地震

 東北地方太平洋沖地震は、2011年3月11日14時46分に日本列島の太平洋岸三陸沖の深さ約24kmを震源として発生した地震で、地震の規模はM9.0で、大正関東地震(1923年)のM7.9や昭和三陸地震(1933年)のM8.4を上回る日本観測史上最大であるとともに、世界でもスマトラ島沖地震(2004年)以来の規模で、1900年以降でも4番目に大きな巨大地震とされています。この地震とそれにより発生した巨大津波による犠牲者は、死者・行方不明者計約19,000人に及びました。また、地震と津波により福島第一原子力発電所で重大な事故が発生し、放出された放射能被害も含め、この地震による震災被害は、東北地方はもとより日本全国に甚大な被害をもたらしました。

 気象庁が公表している東北地方太平洋沖地震とその余震の震央分布を、田(1968)の図に重ねて見ると、まさに、東北地方太平洋沖地震は宮城沖の海段(深海平坦面)の東側縁辺で起こっていることが分かります(図4)。また、余震とされたM7以下の規模の地震のほとんどは三陸沖の海段の縁部に集中して分布し、M7以上の大きな地震も海溝軸の東側のものを除いて、三陸沖の海段の縁部かまたはその周辺に分布します。


図4 田(1968)の図に東北地方太平洋沖地震の震央分布を重ねたもの.

 東北地方太平洋沖の詳細な深海平坦面の分布(岩淵,1967)に気象庁の東北地方太平洋沖地震とその余震の震央分布を重ねてみると(図5)、震央の分布は深海平坦面の中ではなく、縁辺部や各深海平坦面の間に集中していることが、さらに明確にわかります。


図5 岩淵(1967)の深海平坦面の分布図に東北地方太平洋沖地震の震央分布を重ねたもの.

 図4と5を見ると、すでに45年前に、東北地方太平洋沖地震の震源域を予測していた研究があったことを再認識すると同時に、このような重要な研究がこれまで顧みられなかったことを、私はとても残念に思います。

 また、この図では、地震がプレートの沈み込み帯である海溝付近ではなく、むしろより陸側で起きていることにも気づきます。海溝型の地震の震源の深さはさまざまですが、多くが30kmより浅く、プレートの沈み込み帯とされるいわゆる和達-ベニオフ地震帯から陸側に離れたところ、すなわちプレート説で言えばプレート内地震とされる領域に多くの震源のあることがわかります。

 楡井(1982)は、島弧-海溝断面において島弧側から下って和達-ベニオフ地震帯に突き当たるような地震帯をK-S-T地震帯とよび、和達-ベニオフ地震帯とK-S-T地震帯が会合してyの字型を作ることからyビーム地震帯と呼び、これが前弧海盆の地下に存在することを明らかにしました(図6)。海溝型の地震はyビーム地震帯のK-S-T地震帯で発生する傾向があり、それはまさしく前弧海盆、すなわち深海平坦面の縁辺境界の地下に相当します。


図6 伊豆・小笠原から関東にかけてのyビーム地震帯の断面(楡井,1982).

東海地震は起きるか

 それでは東海地震が起こるとされる遠州灘およびその西側にかけての南海トラフの陸側斜面の海底地形をじっくり見てみましょう。図7はGoogle Earthで見た海底地形です。熊野灘と紀伊水道沖の深海平坦面(前弧海盆)の海底は平坦で両者が同様の規模をもっています。ところが、遠州灘は南北に下り東西方向にのびる階段状の地形をしていて、大規模な深海平坦面が見られません。北東側にかる平坦な地形は御前崎からのびる隆起帯で、中央の谷は天竜川から海底にのびる天竜海底谷です。


図7 Google Earthで見た駿河湾から紀伊水道の海底地形.

 もし、地震がプレートの沈み込み帯のどこでも起こるものではなく、深海平坦面(前弧海盆)の縁辺地下で起こるとすれば、大規模な深海平坦面が見られない遠州灘、すなわちE領域西部では地震は起こらない可能性が強くなります。

 では、石橋氏により「駿河湾地震説」が提唱されたE領域東部の駿河湾で、大地震が起こるのでしょうか。駿河湾ではこれまで海溝型とされる大地震はまったく起こっていません。また、駿河湾はこれまでもほとんど地震が発生していない地域です。しかし、2009年8月11日に石花海北堆の西麓の地下深さ23kmでM6.5の地震(2009年8月11日駿河湾地震)が発生しました。この余震域は石花海海盆の北縁にそって限られた分布を示しました(柴ほか,2010)(図8)。


図8 2008年8月11日駿河湾地震の震央分布(柴ほか,2010).

 駿河湾にはその中央に、南海トラフの北東端にあたる、駿河トラフ(駿河湾中央水道)と呼ばれる深い溝地形があります。因みに「トラフ(Trough)」とは飼葉桶の意味で、桶状すなわち舟底の形のものを指します。その意味から、南側に壁のない駿河湾の海底地形に「トラフ」という名前を使用することは適切ではありません。駿河湾の中央の溝の西側には石花海堆があり、その西側には最大水深が約700mの石花海海盆があります。石花海堆は海溝陸側の外縁隆起帯にあたり、石花海海盆は前弧海盆に相当します。

 2008年8月11日駿河湾地震は、前弧海盆と外縁隆起帯の境界で発生し、その余震域は外縁隆起帯から前弧海盆の北縁に沿って発生した地震だと、私は考えています。駿河湾では、前弧海盆の規模が小さく、地震が起きても最大M6規模のもので、それより大きな地震が起きるとは考えられません。また、楡井(1982)によれば、yビーム地震帯のK-S-T地震帯は駿河湾において北側に浅くなり、陸側では見られなくなると述べています。このことから、駿河湾では「駿河湾地震説」で想定されたような大規模な地震は起ないと考えられます。

 これらのことから、東海地震が想定されているE領域では、遠州灘でも駿河湾でも想定されているような地震は起きない可能性が強いと考えます。
 
地震はどこで起きている

 地震には、これまで述べてきた海溝型巨大地震と、阪神・淡路大震災を引き起こした1995年に起こった兵庫県南部地震(M7.3)のような直下型地震、それと群発地震という3つのタイプがあると思われます。海溝型地震は、いわゆるプレート境界型で、他の2つはプレート内地震などと言われています。しかし、プレート内地震とはどのように起こるのでしょうか。プレート内地震の地震発生メカニズムについては、プレート境界型のようなわかり易い説明をされた覚えがありません。

 図9はGoogle Earthで淡路島から大阪平野を見たものに兵庫県南部地震の震央分布を重ねたものです。大阪湾から大阪平野は、第四紀以降の急激に隆起した周囲の六甲山地や和泉山地などから取り残された厚い堆積物を蓄積した堆積盆地となっています。兵庫県南部地震は、その盆地の北西縁の明石海峡の地下16kmで発生し、淡路島北部から北東側の六甲山地との境界地域にかけて北東-南西方向の帯状の地域が強く振動して主に神戸市街に大きな被害を与えた地震です。


図9 Google Earthで見た大阪湾から大阪平野と兵庫県南部地震の震央分布.

 兵庫県南部地震のような直下型地震とよばれる地震は、都市の発達する平野や盆地と隆起する山地との境界付近で発生します。その規模は海溝型に及びませんが、震源が都市直下のために大きな被害が発生します。

 このような地震は、日本全国の平野や盆地でしばしば起こっていて、静岡平野で言えば1935年に有度丘陵の南西部の平野との境界で起こった静岡地震(M6.4)、清水平野では1965年に北部山地と平野との境界で起こった静岡地震(M6.1)があります。前述した2009年の駿河湾地震は海域ですが、石花海海盆の北縁で起こったものです。このような地震は、平野や盆地の規模が小さければその地震の規模も小さく、大きければ地震の規模も大きいと考えられます。

 ただし、その周期についてはさまざまで、同じ盆地の同じところで必ず起こるとは限らないようです。因みに、兵庫県南部地震と同様な地震は、1596年に六甲-淡路島断層帯で発生したとされる慶長伏見地震と言われ、両地震の間隔は約400年になります。

 海溝型巨大地震が深海平坦面、すなわち前弧海盆の縁辺部で起こるものでしたら、直下型と言われる盆地縁辺部で起こる地震とその発生機構は同じであり、それらを区別するものは海域か陸域かというよりも、むしろ盆地の規模の大きさということになります。また、地震の規模は、前弧海盆や盆地の表面の地形が平坦で規模が大きければ大きいと思われます。地形はその場所の地質や地殻変動を反映しています。特に海域では陸上のように浸食が顕著でないため、深海平坦面のような堆積地形が明確であり、地震や断層など地殻変動を反映する地形が認識しやすいと考えられます。したがって、今後の地震発生メカニズムの解明には、地形や地質の研究をもっと取り入れるべきだと思います。

 山地は隆起し、盆地はそれに対して相対的に沈降しているところであり、たとえば大阪湾から大阪平野と隆起する六甲山地との境界では、第四紀のある時期から隆起と沈降の相反する動きが継続してきました。同様に、海溝陸側の外縁隆起帯および前弧海盆の陸側の大陸斜面上部も、前弧海盆に対して第四紀以降、隆起をしつづけてきたところと思われます。このような盆地に対するその境界部での隆起の運動メカニズムが、地震の発生と密接に関係しているのではないでしょうか。
 
まとめ

 このように見てくると、地震は沈み込む海洋プレートに押されて陸側のプレートにひずみが蓄積して陸側が跳ね上がって起こるという単純なメカニズムで発生しているのではなく、地域ごとの盆地と隆起帯との相互の関係と、隆起や沈降を引き起こしているだろう地殻内やその下のマントル上部内での応力の上昇や変化などに関係していると思われます。そのため、地震を理解するためには、地域ごとの盆地と隆起帯との相互の関係を個別に検討していくことが重要だと考えます。

 地震は何が原因となって、どのように発生しているのか、私にはまだ明確にはわかりません。しかし、地震の多くが隆起帯と盆地との境界で起こっていることが多いことから、地殻の隆起を起こしている何か、おそらく地殻下部またはマントル上部での低速度層とされるものかマグマの活動と密接に関連していると思われます。

 とりあえず、「東海地震はいつ起こるか」という本題の答えとして、私は「想定されるE領域の東海地震は起こらない可能性が高い」と結論づけます。そして、その根拠は、想定に反して東海地震がこの35年間起こらなかったことと、海底地形と地震の分布の特徴から見て遠州灘でも駿河湾でも想定されるような地震を起こす要素が私は見当たらないと思うということです。

 ただし、地震の起こる原因や地震の起こる周期について十分にわかっていないことから、いつのどのような地震が起こるかわかりません。そのためにも、地震についての備えを常にきちんとしておく必要があります。
 
引用文献

田 望(1968)海底地形と浅発地震の震央分布.北海道大学地球物理学研究報告,20,111-124.

星野通平(1969)震央の分布と海底地形・地質との関連について.東海大学海洋学部紀要,3,1-10.

石橋克彦(1977)東海地方に予想される大地震の再検討 駿河湾地震の可能性.地震予知連絡会会報, 17, 126-132.

岩淵義郎(1967)日本列島東方沖の海溝地形について.地質学雑誌,74,37-46.

小山真人(2008)東海地震はどんな地震か?.里村幹夫(編)「地震防災」,学術図書出版.

楡井 久(1982)Fore-arc Basin としての関東構造盆地とyビーム地震帯.島弧変動,地団研専報,24,79-95.

柴 正博・増田祐輝・柴 博志・駿河湾地震被害調査グループ(2010)2009年8月11日駿河湾地震の被害分布の特徴と地形・地質との関連.「海・人・自然」東海大学博物館研究報告,10,1-16.

地震はどこで起こっている?

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最終更新日:2013/2/24

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