柴 正博
東海大学海洋学部 博物館資料論テキスト
T. 博物館とは
1. 博物館とは
博物館は世界に4万館以上あると推定され,日本でも4,000館以上の博物館があると思われる.博物館は,生物を含むモノを収蔵(育成)し,研究し公開することを後世に伝えるために系統だって継続して行う機関である.そして,博物館が扱う対象(資料または「モノ」)によって,博物館にはさまざまな種類があり,それらは博物館という名前だけでなく,資料館,美術館,文学館,歴史館,科学館,水族館,動物園,植物園などという名前で呼ばれ,それぞれにその目的や内容,活動が多種多様である.
博物館法によれば,「博物館とは,歴史,芸術,民俗,産業,自然科学等に関する資料を収集し,保管(育成を含む.以下同じ)し,展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し,その教養,調査研究,レクリエーション等に資するために必要な事業を行い,あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(社会教育法による公民館及び図書館法(昭和25年法律第118号)による図書館を除く.)のうち,地方公共団体,民法(明治29年法律第89号)第34条の法人,宗教法人又は政令で定めるその他の法人が設置するもので第2章の規定による登録を受けたものをいう.」とされている.
また,ICOM(国際博物館会議)の定義やUNESCO勧告では,「博物館は収蔵・研究・展示を系統だって継続し,後世に伝える業務を遂行する」とされている.
日本では,博物館が展示施設として発達したことから,博物館は建物や施設を指す言葉と理解されている場合が多く,また一般に博物館は教育施設して理解されている.すなわち,日本における博物館は,一般に利用する側に主体のある教育施設ないし,公共のレジャー(余暇活用)施設と思われがちで,以下のような現状にある場合が多い.
* 展示や教育行事が優先される.
* 研究や資料収集および保存が省みられない.
* 学芸員が充分に配置されない.
* 学芸員の地位や専門性が認められない.
* 学芸員は展示物の制作とそのメンテナンスおよび教育活動が主な業務である.
* 学芸員の多くは行政職または教育職であり,数年で他の部署に異動する場合がある.
日本の博物館はこれまで行政が住民の意思とは別に「箱モノ」的な施設として設置してきたことが多く,そのため最近では住民や行政から「博物館は無駄な箱モノ」の象徴とされている.そして,経済不況と少子化という最近の社会現象の中で以下のような事態が進行している.
* 財政難や市町村合併などから博物館の経費や人員の削減,統合,あるいは廃止.
* 利用者数や収益率をもとにした経済効果のみに偏った博物館評価制度の導入.
* 博物館の機能を無視した,「施設」を管理するための指定管理者制度の導入.
そして,「モノ」を系統だって保存して後世に伝える業務を遂行するべき博物館の多くが,今や廃館の危機にあると言って過言ではない状況にある.その原因は,わが国では博物館が単なる展示施設または教育施設として理解されてきたことによると思われる.
博物館は単なる教育施設ではなく,ある研究対象「モノ」についての研究機関であり,調査・研究をして資料や標本を収集・保管し,それをもとに教育・展示を行う複合機関(柴,2001)であり,その「モノ」に関して人の集まる場(Community site)でもある.
博物館と類似しているにもかかわらず,日本においては博物館と対称的な機関が図書館である.博物館が「モノ」の蔵であるのに対して,図書館は「文書」の蔵である.すなわち,図書館は人類の文化としての「文書」を保存し研究し,それを一部公開利用に供するという機能がある.同様に,博物館は自然の「モノ」や人類の文化としての「モノ」を保存し研究し,それを一部公開し利用に供するという機能をもつ.
しかし,日本において国や地方自治体は図書館を必ず設置し,市民は無料で利用できるにもかかわらず,博物館は必ずしも設置されていないばかりか利用料金が徴収される.すなわち,図書館と博物館は対象物が違うだけでともに本来の公共的役割や使命が同じであるにもかかわらず,わが国における2つの機関の公共的地位には大きな違いがある.この対称性は,日本において博物館が展示施設または教育施設,ないしレジャー施設として発達したことによるところが多く,それは今からでも改めなくてはならない大きな課題である.
遠藤(2005)は,「本来博物館とは,例えば遺体を集め,例えば学術資料を収集し,そこから人類の新たな叡智を獲得していく,文化や学問や教育の根幹を支える組織であるはずだ」と述べ,博物館はわが国での文化や学問,教育の根幹を支えるべき機関であることを強調している.
博物館は,「調査・研究」,「収集・保存」,「展示・教育」という3つの機能を有機的および組織的に行う機関であるが,従来それらの要素は独立した形で連結するイメージが持たれていた(図1-2).しかし,博物館は「調査・研究」を基礎に置いていることから,広い「調査・研究」の上に「収集・保存」を重ね,そしてその上に「展示・教育」が重なる形とその方向が,博物館の機能をよく表すと思われる.
倉田・矢島(1997)は,同様のイメージを示したが,「調査・研究」を核として「教育・普及」を最外周の輪として,教育の段階において調査・研究や収集・保存の機能が成果と発揮されるとして,博物館の教育活動の重要性を強調した.しかし,博物館は本来研究機関であり,博物館の教育活動は博物館の活動の一部にすぎない.
滋賀県立琵琶湖博物館の運営基本方針では,「博物館の事業を1本の樹に例えると,展示や出版などの事業は枝葉や果実にあたり,保管された資料は幹,研究調査は根にあたる」と記されていて,図1-3のようなイメージが示されている.これは,まさに博物館の機能をわかりやすく示している.すなわち,博物館という機関が,「モノ」に対する研究から資料と情報を獲得して,それらを保管し,それらをもとに教育や展示などさまざまな事業を展開し,成長していく大きな樹木に例えられている.
2. 自然史博物館とは
自然史博物館とは,大阪市立自然史博物館の館長だった千地(1978)によれば,自然の姿を明らかにしてその成因や自然の体系を歴史的に理解し,現在と未来の人類社会のあり方に対して貢献するための研究教育機関と定義している.千地はまた,自然史博物館のテーマは特に現在も含めた第四紀の自然環境の変遷,すなわち人と自然のかかわりについて最も大きな力が注がれるべきであるとも述べている.
自然史博物館のテーマである自然を理解するには,歴史的観点をもち,階層性のある自然を総合化して復元することが重要である.また,自然の成り立ちとそのメカニズムを明らかにするためには,地域の自然の状態を常にモニターすることも必要がある.
人々は自然(大地)の上にすんでいて,人々の生活は自然の基礎上に成り立っている.その自然を知らずに,無視して生活(上部構造)は成立しない.大場(1991)は,地域の自然のもつ多様性はその地域にとって最大の環境資源であると述べている.これは,文化財と同様に地域の自然を「自然財」ととらえる考え方に通じる.また,青島(1991)は,自然史博物館は自然環境行政の中核機関として位置づけられるべきであると述べている.すなわち,地域の自然史博物館はその地域の自然環境の研究情報センターであり,その上でそれらの資料をもとにした生涯学習にかかわる教育機関,そして行政の中では自然環境に関するシンクタンク的役割をはたすべき複合機関であると考える.
現在,多くの人が地球の自然環境に大変関心をもっている.しかし,その反面わが国の学校教育では地球の自然環境を把握するために基礎となる地学や生物の教科が軽視されている.高校では選択によってそれらの授業を多くの生徒が受けられないという状況もある.また,自然環境問題というと「ゴミを捨てない」など生活習慣や省エネルギー教育と摩り替えられ,肝心の自然環境の実態や変化を理解したり,その仕組みを探求したりという自然科学的なアプローチがほとんど含まれていない.
地球全体の自然環境問題も,まず自分たちの住んでいる地域の自然環境の実態やその仕組みを知らなければ,実際に自然環境の何が問題なのかについて正しく認識することはできない.現在,自然環境の状態を把握するような仕事は誰が行っているのだろうか.全国の都道府県でそのような機関はどれだけあり,どのようなデータが蓄積されているのだろうか.そのように考えていくと,わが国には自然環境の状態を把握するような機関がほとんどないことに気づく.各県のレッドデータブックの作成についても,とりあえずいくつかの県で県立博物館や自然史博物館で行われた例もあるが,地域の自然環境の状態を把握することが地域の自然史博物館の役割のひとつとしてきちんと規定され,一般に理解されていことは少ない.すなわち,自然史博物館は歴史的観点で現在の自然の姿を把握し,将来における地域の自然のあり方を地域の人たちと検討する場である(柴,2007)ということが理解されるべきである.
自然史博物館の標本は,過去や現在の自然環境の実態としての証拠として残され,現在や過去の生物環境を知るための将来のデータとなっていく.しかし,もしも私たちが標本をほとんどもたなければ,将来の人は過去の自然環境について実物としての証拠を何ももたないことになり,過去の自然環境の実態を正確にとらえられないことになる.さまざまな標本を残すことは,それらが経済的な利益や資源として利用できることよりも,人類が将来自然の中で生きつづけるための権利,すなわち生存権に係わる問題に対してより大きく役立つと考えられる.
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