博物館資料論

柴 正博

東海大学海洋学部 博物館資料論テキスト
なお,授業は2009年度と2010年度の春学期に行ったもので,2011年度は担当でないため,
本テキストの更新は行わないつもりである(2011/3追記).


はじめに

 このテキストは,東海大学海洋学部で平成21(2009)年春学期に行った「博物館資料論」の講義で作成した資料をもとに,平成22(2010)年春学期に講義で学生に配布するために編集し,さらに同年9月に図を追加するなどして一部改編したものである.

 本講義をはじめた平成21年4月に,博物館法施行規則等の改正が行われた.その中で,博物館活動の要である学芸員の質的向上を目指して,学芸員資格取得科目の内容と単位数が整備拡充された.大学における現在の学芸員資格取得課程の科目は,「生涯学習概論」,「博物館概論」,「博物館経営論」,「博物館資料論」,「博物館情報論」,「視聴覚教育メディア論」,「教育学概論」,「博物館実習」であるが,平成24年4月から博物実習を除くすべての科目が2単位となり,「博物館資料保存論」と「博物館展示論」が新設され,「博物館情報論」と「視聴覚教育メディア論」が「博物館情報メディア論」として再編され,「教育学概論」は「博物館教育論」となる.現行では8科目12単位であるが,改定後は9科目19単位となる.

 美術館から動物園まである多種多様な博物館の中で,学芸員はその博物館が専門とする学術分野の極めて専門的な知識と資料を取り扱う高い技術が要求される.博物館は,資料(モノ)を研究し,資料とその情報を保存し公開するところであり,学芸員がその専門学術分野の研究に長けていなければ,博物館資料の価値を正当に評価できない.また,学芸員が専門学術分野の研究者でなければ,博物館はその研究・調査,収蔵・保管,さらに教育・普及という活動を十分に行うことができない.したがって,博物館の学芸員として必要な人材の多くは,専門学術分野の研究を行い,それを普及したいと強く望んでいる博物館活動の支持者である.実際に,現在博物館で採用されている学芸員の多くは,単に「学芸員」資格を有するだけの者ではなく,専門分野の大学院を修了し修士号または博士号を有する専門分野の研究実績のある者である.

 そのような現実があるにもかかわらず,学芸員資格取得科目には専門学術分野の科目は含まれていない.そればかりか,今回の改正でもそれ以外の業務の,博物館経営,展示,保存,情報メディアなどといった広範囲にわたる知識やスキル面のアップが要求されている.たしかに,博物館には経営から資料保存,展示,教育,情報メディアに関するさまざまな業務があり,それらを広く知ることは必要であり,これらの学芸員資格取得科目の内容と単位数の整備拡充によって,学芸員有資格者の研究以外の業務についての質的向上を図ることは重要なことかもしれない.しかし,専門学術分野以外のスキルは,実際に業務に携わり現実の問題と対峙したときでも,学芸員としてスキルを磨くことは遅くはない.
 具体的な技術的な手法は,現代社会において常に急激に変化し,各博物館の現場でその対応もさまざまである.そのため,取得科目で習得した最新の技術的な手法でさえ,実際に業務に携わる時にその一部が使用できない可能性さえある.したがって,学芸員として理解し習得しておかなくてはならないことは,具体的な手法や技術よりも,むしろ博物館または博物館活動が何かということと,博物館で行うべき基本的な業務の内容と,そこで収集され保存すべき資料の取り扱いについての基本的な考え方やスキルで十分であると思われる.

 これまでもそうであったが,現在でも,「学芸員」有資格者に対して博物館における「学芸員」の求人は極めて少ない.年間の大学での「学芸員」要請課程修了者は平成20年度で10,427人いて,そのうち実際に博物館職員(学芸員のポストではない職員も含む)になった者はわずか約60人と,0.6%にすぎない(日本博物館協会,2009).これは,学芸員のポストが極めて少なく,求人もさらに少ないことに起因している.このような状況では,吉田(2009)が指摘したように大学教育で学芸員の質的向上を図らずとも,自然淘汰されて難関を突破した優秀な人材を博物館は確保できていると考えられる.したがって,学芸員としての資格の評価は,学芸員にとって最も重要なスキルである専門的な学術分野の知識と研究活動についての資質,それと博物館とその活動・業務に関する基礎的な知識と技術的スキルがきちんと備わっているかを評価することにあると考える.

 とは言え,現在および改正される学芸員資格取得科目では,学芸員の専門学術分野以外の業務について広範で具体的な知識と技術的スキルを教授することを目的としている.そのため,本講義も含めて学芸員資格取得科目の到達目標は,博物館と博物館のさまざまな活動を実践的な例をもとに,その知識と技術的スキルの基本を教授することである.そして,本講義を通して学生諸君に,博物館という機関の活動と学芸員の博物館資料に関する業務をより理解して,学芸員を目指し,また将来にわたり博物館と学芸員のよき理解者であり,その強い支援者となることを期待する.

 私は,東海大学大学院海洋研究科修士課程を修了し,3年間高等学校の教諭を務め,東海大学自然史博物館の開館直後の昭和57年(1982年)に当時の東海大学三保社会教育センター(現在は東海大学社会教育センター)の職員となった.私は大学で学芸員資格を取得していなかったため,博物館に勤めてから文部省(当時)の検定と大学の講義で不足単位を取得し,その後1年間の勤務実績によって学芸員資格を取得した.それは,博物館の職員となって3年後であった.このように,大学で学芸員資格を取得していないと,資格取得に多くの時間と労力が必要となる.したがって,資格取得を望んでいる学生諸君は大学での学芸員取得課程の中で資格を取得できるよう努力していただきたい.

 私は博物館に勤めて,展示のメンテナンスから掃除,展示設計・製作,ポスター・パネル・看板の作成とイラストのデザイン,毎年の特別展の企画・実施,標本作成と登録・保存,番組作成,オーディオ機器や機械の整備と組み立て,コンピュータプログラムやホームページの作成,博物館の内外でのさまざまな教育活動,研究報告やパンフレットの編集,その合間に資料収集と研究,さらに総務や経理事務,そして大学や他の教育機関の非常勤講師まで行ってきた.まさに,日本の博物館学芸員は「雑芸員」と言われるとおりである.学芸員はすべての業務をこなさなければならず,さらにすべての業務に質的に高い成果が要求される.しかし,ひとりの人間がこれらすべてを完璧に行うことは不可能である.

 欧米の大規模な博物館では,博物館はその業務を,「研究者」(Researcher),「収蔵管理者」(Conservation manager),「展示設計者」(Exhibition designer),「教育者」(Educator)と「経営管理者」(Business manager)などによって分担されて遂行されている.そして,本来の「学芸員」(Curator)とは,それらの前4者に相当する学芸部門を統括する立場としての存在であり,このような「学芸員」は学芸部門のうちいくつかの部門のスペシャリストとして何年か経験を積んだ者が担当できる職責であり,資格である.したがって,そのような“Curator”は日本の博物館で言えば「主任学芸員」や「学芸部長」といった役職の存在であり,日本の「学芸員」は欧米の大規模な博物館の“Curator”とは質的に異なっていると思われる.
 この「博物館資料論」では,博物館の核をなす博物館資料とは何か,また博物館の資料の収集・収蔵・登録・展示・保存など,博物館資料の取り扱いに関する考え方とその技術の概要を述べる.博物館とは何か,ということや博物館の歴史,組織,職員とくに学芸員の役割,博物館の活動などについては「博物館概論」ですでに学んだと思われるので,この「博物館資料論」では簡単に触れるにとどめる.また,博物館資料については,私の専門領域である特に自然史博物館における資料について,その調査研究のあり方,資料収集とその標本化,展示の方法,資料情報の取り扱い,保存の方法などが中心となる.なお,博物館資料に関する情報処理については,博物館情報論と重なる部分もある.

 本講義での授業担当に関して,東海大学清水教養教育センターの根生 誠教授,元海洋科学博物館館長の西 源ニ郎氏にお世話になった.標本作製に関する講義と資料の一部については,NPO静岡県自然史博物館ネットワークの三宅 隆氏,高橋真弓氏,湯浅保雄氏,岸本浩和氏に協力を得た.また,本講座の前任だった故日置勝三氏の資料を一部参考にした.これらの方々に厚く感謝する.

 本講義の参考文献としては,加藤有次ほか編(1999)の新版博物館学講座第5巻「博物館資料論」と倉田・矢島(1997)の「新編博物館学」がある.また,自然史分野の標本作製については,国立科学博物館編集(2003)の「標本学 自然史標本の収集と管理」と大阪市立自然史博物館編集著(2007)の「標本の作り方―自然を記録に残そう」に広い専門分野にわたり詳しく記されている.



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最終更新日: 2010/09/30

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