平塚 明 (岩手県立大学総合政策学部)・柴 正博 (東海大学社会教育センター)
2000年1月 博物館研究,.v.35, no.1, 18-22.
図については省略した
植物園とは
Botanical Gardenは植物園と訳されるが,植物学園とした方がより正確である.そこは植物を収集・保存し,植物学の研究・教育を行い,そして生きた植物を市民に公開している場所である.一般には三番目の要素が肥大し,植物園がアメニティの観点から語られることが多いが,植物園は本来「植物学のための園」である.
世界の三大植物園といえば,イギリスの王立植物園キュー(http://www.rbgkew.org.uk/),ドイツのベルリン・ダーレム植物園(http://www.bgbm.fu-berlin.de/BGBM/default.htm),アメリカのニューヨーク植物園(http://www.nybg.org/)を指す.植物園のハードウェアは鉄骨とガラスで組み上げた温室に象徴されている.柱のない巨大空間には,背の高い熱帯植物や池が配置され,植物園で最も人気の高い場所になっている.
しかし植物園にとって重要なもう一つの建物は,標本館(ハーバリウム)である.有力な植物園は皆,厖大なさく葉(押し葉)標本をもっている.園は各地に調査隊を派遣し,常に新しい標本を集めている.植物園や大学の標本庫は互いの標本を交換し,コレクションを豊かなものにしている.
さく葉標本は研究者にとって最大の宝だが,展示物としては最悪のものである.地味であり,「ただの枯葉ではないか」と言われかねない.日本で本格的にさく葉標本を展示したのは,1994年に日本大学農獣医学部資料館で開かれた特別展「いま帰る黒船が採集した日本の植物」ぐらいではなかろうか(東,1994).これは,ペリーの黒船艦隊の目的が外交だけでなく,プラント・ハンティングにもあったことを示した展示だった.
このさく葉標本や生きた植物などは,園や協力関係にある大学の研究者たちの研究対象となる.系統だって集められ植えられた異国の樹木や草花は,それだけで美しい.園が公開されれば市民にとって目も心も安らぐ場所となる.ただ,きれいで珍しい植物が植えられているだけが植物園なのではない.葉叢の奥に植物学や栽培に詳しいスタッフが常駐し,充実した標本庫や図書室や実験室で研究が進められているという気配が,植物園を他にはない特殊な場所にしている.充実した植物園を持つことは美術館や博物館を持つのと同様に,都市のステータスを高めている.
世界の植物園ウェッブサイト
世界には約1,600の植物園があり(Botanic Gardens Conservation International,
http://www.rbgkew.org.uk/BGCI/),その内現在ウェッブサイト(Web site, すなわちホームページ)をもっているのは480園ほどである(Internet
Directory for Botany: Arboreta and Botanical Gardens, http://www.helsinki.fi/kmus/botgard.htmlからカウント).
欧米の植物園サイトの例としてエジンバラ王立植物園(http://www.rbge.org.uk/)を見てみよう.トップページにあるのは,シックなマークとリンクボタン以外はすべてテキストである.冒頭に「ニュース,イントロダクション,ビジターインフォメーション,コレクション,研究,教育,出版物,行事,スタッフのディレクトリ,関連機関,種の検索,他のサイト」へのリンクボタンを置き,その下にサイト内全文検索のテキストフィールドが開いている.階層を深く辿っていっても,写真は少ない.ひたすらテキスト情報で組み立てているが,内容はおそろしく豊かである.決して一般入園者(ホームページ訪問者)を忘れているわけではない.
入園者へのサービスは,信頼性の高い大量の情報という形で差し出されている.これが,欧米の植物園の一般的な例である.ウェッブ技術として目新しいものはほとんど使っていない.同じ国にある博物館サイトと比べてみても地味である.基本的にテキストベースであり,植物園としての落ち着いた従来の仕事の中にウェッブサイトも無理なく取り込んでいる様子である.標本庫的な業務は本来,種のデータベースが中心だから,ウェッブの導入は自然に行われたのだろう.
文字情報中心のこのやり方は,日本ではなかなか一般には受け入れられないだろう.学術的な場であると承知していても,もっとビジュアルなものが要求されるはずである.世界の植物園URL集(Internet Directory for Botany)を見ても,アジアはなきに等しい.日本からの登録も8園に過ぎず,一部を除いて自治体パンフレットをそのまま載せたようなものである.
日本の植物園
歴史を見ると,植物園と博物館との関係はつかず離れずである.日本を代表する植物園である東京大学理学部附属植物園本園(小石川植物園)は,かつて小石川薬園と呼ばれ,「あくまでも製薬のための栽培園,製薬場として機能」していた(大場,1996).明治維新後さまざまの変遷を重ね,1875年 (明治8年)に一時文部省所管の教育博物館の附属になった.この博物館は後の国立科学博物館である.1877年に東京大学が創立されると植物園は大学附置となり,その後植物園内に大学の植物学教室が移転し,大学教育や研究との連携にとって理想的な環境になった時代もあったらしい.
一方の国立科学博物館は1962年に港区白金台の国立自然教育園を附属機関とし,さらに1976年に茨城県つくば市に筑波実験植物園(http://www.tbg.kahaku.go.jp/Tsukuba_Botanical_Garden/index.html)を設置した.東京大学理学部附属植物園と国立科学博物館附属筑波実験植物園,この二つに1877年クラーク校長の号令で設立された北海道大学農学部附属植物園(http://www.hokudai.ac.jp/agricu/exbg/index.htm),1958年設立の東北大学大学院理学研究科附属植物園(1999年4月1日に東北大学理学部附属植物園から名称変更.以下,東北大植物園, http://www.biology.tohoku.ac.jp/garden/index.html)を加えたものが日本の代表的なBotanical Gardenであろう.
社団法人日本植物園協会は1966年,文部省社会教育局(現在の生涯学習局)傘下の法人として発足した.第1部会(大学の理学部,農学部の付属植物園),第2部会(国・公立園,各自治体の植物園),第3部会(私立園),第4部会(薬草園.大部分は大学薬学部の付属植物園で非公開.製薬会社の薬草園も企業秘密のためにほとんど非公開)からなる寄り合い所帯であり,145園が所属している(本間,1997).数え方にもよるが,この内ホームページをもっているのは47園である.所属する自治体の公報ページの一部であるようなものが多い.フラワーガーデン,フラワーパークといったものもある.海外の植物園のように学術部分と一般公開部分とが一体化したものではなく,それらが分離している日本の植物園では,おのずとホームページもどちらかに偏ったものになりがちである.
独自のサイトを持たない大部分の植物園にとって耳寄りな話が1996年の暮れ,協会に持ち込まれた.NTTがWNN(World Nature Network)のコンテンツの一つとして,無償で各植物園のページを作りますとの誘いである.多くの植物園がこの計画に参加した.その結果,1998年にスタートしたのがWNN-Garden(WNN-G, http://www.wnn.or.jp./wnn-garden/index.html)である.しかし,このサイトでは「絶滅危惧植物」,「遺伝子資源」,「種の多様性」,「地球温暖化と植物」,「熱帯林の減少」といった植物と人間社会にかかわる切実な問題には触れられていない.その一隅に間借りしたBotanical Gardenにとっては,いささか居心地のよくない場所である.植物園協会は,よく似た日本動物園水族館協会(JAZGA, http://www.jazga.or.jp/)のように,自力でサイトを起ち上げて独自のオピニオンを掲げられる場を設けるべきだろう.
個々の植物園には「園芸」だけでなく,「環境」や「生態」について深い知識と認識を持ち,活発に活動している所がある.特にここ数年,新しい発想をもった植物園が増えつつある.富山県中央植物園,ユニトピアささやま花の植物園,千葉市花の美術館,新潟県立植物園(http://www.niigata-inet.or.jp/midori98/garden/)などがその例である.それぞれの植物園が自分の特徴を生かしたホームページを掲げれば,日本のウェッブはもっと豊かで華やかなものとなるだろう.
東北大学の植物園
東北大植物園の特徴は,1)Botanical Gardenであること,2)大学附属であること,3)天然記念物の自然林であること,の三つである.
現在,東北大植物園となっている地域はl600年(慶長5年)に伊達政宗によって築城が始められた仙台城の後背地に当たる.城の防備の上でも,また水源地としても重要で,藩の厳重な監視下におかれていた.明治維新後は陸軍に,第二次世界大戦終結後は駐留軍の用地となり,結局400年にわたり一般人の立ち入りが制限されてきた土地である.その貴重な自然林は1958年に東北大学に移管され,植物園として初めて一般に公開されることになった.
植物園は本体の理学部とは少し離れて街に近く,大学にとって「出島」のような位置にある.そして「社会に開かれた窓」としての役割も大きかった.1972年に国の天然記念物「青葉山」に指定された森は鬱蒼としたモミ-イヌブナ林であり,丁寧に整備された細い道が森の中を曲がりくねりながら続いている.ところが,入園者の多くは手前の芝生やロックガーデンで立ち止まってしまい,奥にはなかなか入ろうとしない.「怖い」というのが,その理由である.奥深く踏み込まなければ,自然林のよさは味わえない.そこは長らく研究のフィールドとなってきた場所であり,森に関する学術情報が蓄積されている.二の足を踏む人たちを,この森にどのようにして招じ入れ,紹介したらよいのかというのが植物園職員の悩みだった.天然記念物に指定されているために,原則として一木一草も動かしてはならない.つまり看板・解説板の類は無闇に立てられなかったのである.
ウェッブサイトを起ち上げる
以前から,人員削減の波は植物園にも及んでいた.技官(ガーデナー)の数は年々減少し,ついには植物園の一般公開が危ぶまれる段階にまで至っていた.実際,見事な内容を持ちながら充分な人員を配置できないため,非公開にせざるを得ない植物園も世の中には存在する.東北大植物園は地質学的に重要な竜ノ口渓谷を敷地内に持ち,植物分布上貴重なモミ林には希少種のオオタカが生息し,仙台城の御裏林としての歴史もある.人口稠密地帯に接しながらこれほど豊かなフォーナとフローラを抱え,歴代の研究者の業績が蓄積された植物園が公開できなくなるというようなことだけは避けたかった.
1996年の植物園本館の新築に伴い展示室の内容を一新したが,到底充分なものとは言い難かった.自然植物園は,いわば自分で展示を「更新」していく.毎日の天気,季節,生き物の生活史,芽吹き・展葉・開花・結実・落葉のフェノロジー,森の遷移.時として襲う落雷や地滑り.そうした「自然の展示替え」に合わせて展示室の解説パネルの方も改める必要があった.しかし,一度作った後の展示替えは人手や経費,技術の問題から非常に困難であった.その時,必要な際に充分なだけの情報を供給できる展示システムとして,目の前にあったのがウェッブであった.
当時東北大植物園に所属していた筆者のひとり平塚は,1997年の春に東北大植物園のオンライン展示,いわゆるホームページの制作に踏み切った.それは,同年の4月に登場したサイト「博物館にホームページを!」(柴・石橋, 1999, http://www2.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/~museum/index.html)に刺激されたからである.幸い,学内の体勢は整っていた.生物学教室のサーバ機とそのシステムは導入当時でさえすでに旧式の組み合わせだったが,学内ネットワーク(TAINS)での実績が積まれた安定したシステムであり,ホームページの制作者は安心してこれに載せるコンテンツを考えるだけでよかった.こうして1997年10月,「東北大学理学部附属植物園ホームページ」を起ち上げることができた(図1,2).
ウェッブコンテンツは常に修正可能な状態で,ネット上に浮かんでいる.印刷出版物ならば正誤表を添えて対応せざるを得ないような局面でも,ウェッブならば即座に全面改訂ができる.それだけに,常時作り続けなければならないような気分にさせるメディアであり,ほぼ毎日更新することになった.ただし毎日更新自体には大した意味はない.いつか読んでもらえればいいのだから,じっくり情報を蓄積してから,まとめてウェッブに載せても構わない.ただし,植物園が「生きて」いることを示すためにも,折に触れての更新は必要である.
研究者として見た場合,植物園サイトは種のデータベースさえしっかりしていれば,と思うことがしばしばある.東北大植物園のホームページでは,この部分が充分に作り上げられていない.一応,自生植物・栽培植物・ヤナギ科植物の三つのリストを載せてはいるが,いわゆる検索窓もないただのリストである.
実際に起ち上げてみて最も驚いたのは「図鑑」機能を要求する声が非常に強いことである.苦心した生態学的解説よりも,とにかく種名を並べ写真を添えたページへのアクセスが多い.被リンクもトップページではなく,図鑑的ページに張られることが多い.これはウェッブ全体を見回しても同様であり,一般には「日本に生育するすべての植物の標準和名と写真が対でそろい,わかりやすい検索手段が備わったサイト」が求められている.現在,これに応えられるサイトは存在しない.
植物園間の協力と横断全文検索
現在いくつかの植物園の共同作業として「研究用植物データベースBG Plants」という計画が進行しており,東北大植物園も参加している.これは文部省の科学研究費補助金(研究成果公開促進費)を受けて1991年度にスタートしたもので,日本全国の植物園などの施設に系統保存されているデータの登録・公開を目指している.日本の植物園等の施設には,国内・外の広い範囲から収集された厖大な数の生きた植物個体(個体数で数十万点)が保存されており,さまざまな植物科学の研究に役立つ可能性を持っている.実際に研究者からのリクエストも多いが,どの植物園に何が保有されているかという情報は充分に公開されていない.これらは絶滅危惧植物を系統保存したり,育成して自生地に戻すといった事業のためにも必須の情報である.そこで,統一的に整理したデータベースを作り研究者の便宜をはかろうというのが,この計画である.
データベース作成グループは日本国内の大学所属の植物園,国の機関,私立の植物園のメンバーから構成されている.日本植物園協会とも連絡をとりあい,全国の植物園からのデータを集め,年に7,000件のデータ入力を20年間にわたって行う予定になっている.協会参加園の内,すでに出版物としての植物目録をもっているのは20数園に過ぎないが,これを機会にデータの整理が進むだろう.
統一的で使いやすい入力システムを求める声が各植物園からあがっている.また,計画の出発時から時間が経過したため,当初のシステムが古くなってしまったとの悩みもある.それでも現場の努力によりデータは着実に蓄積してきた.今まではオフラインでの利用だったが,1999年度よりインターネットでのオンライン利用ができる予定と聞いている.
東北大植物園サイトは1998年から徳島県立博物館の小川誠氏による「博物館関連サイト横断検索」実験に参加している.現在,ウェッブ内には厖大な情報が蓄積しているが,そのために本当に求めているものを探し出すことがかえって難しくなってきている.そこで,互いに似た領域をカバーしているサイトだけを対象に検索できるようにした仕組みがこれである.この実験への参加により,東北大植物園サイト内の全文検索も可能になり,たいへんに重宝している.
植物園間の協力は,このようなウェッブ上での情報共有という形で実現しつつある.生きた植物(展示物)が根づいているのが植物園だとすれば,展示物の貸し借りといったことよりも,互いの情報を共有するやり方のほうが植物園には向いている.例えばBotanic Gardens Conservation International(BGCI)では,世界中の絶滅危惧植物のデータベースを構築するとともに,種の保全に有効な栽培法などの情報を交換し共有している.このBGCIに日本から加盟しているのは一カ所だけ(日本新薬株式会社)である.
現実の植物園は,多くの種を狭い空間に集めているために,その間での交雑が起ったり,あるいは海外からの種がまわりに帰化していく足掛かりになるなど,決して無垢な存在ではない.21世紀の植物園は,遠い国の植物や気候帯のまったく異なる地域の植物を,ただ珍しいというだけで集め栽培するような所ではなくなっていくだろう.その植物園が位置する地域にもとから生育している植物,あるいは生育しているはずの絶滅危惧植物を集め,保護し,増やしていく「育苗センター」のような形になると予想される.そこではエキゾティシズムの色合いは薄れ,足元のローカルなものが改めて光を浴びることとなろう.ただし,その情報はネット上で共有され,地球上のどこに住んでいても気になる植物の消息は知れるはずである.
引用文献
大場秀章 (1996) 日本植物研究の歴史をさかのぼる ―小石川植物園三百年の歩み―.Ouroboros(東京大学総合研究博物館ニュース),
2号, 1-7
東 禎三 (1994) 特別展示 いま帰る黒船が採集した日本の植物開催報告. 日本大学農獣医学部資料館報, 4号, 7-11
本間 明 (1997) 平成9年度全国植物園概要. 社団法人日本植物園協会, 54pp
柴 正博・石橋忠信 (1999) 博物館にホームページを!―博物館ホームページ推進フォーラムの目的と活動―. 博物館研究, 34巻, 6号, 5-9
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