地学団体研究会(略称 地団研)静岡支部の歴史については、静岡支部の機関紙で
ある「ぼしゅうちゅう」100号(1995年)記念号に掲載したものがあり、とりあえず
それを掲載しておきます。その後の10年については、機会をみて追加します。
柴 正博
最終更新日 2004年8月9日
柴 正博 ぼしゅうちゅう100号 1995年5月 「ぼしゅうちゅう100号」および地学団体研究会静岡支部創立20周年を機会に、静岡支部の歴史について振り返ってみることにします。ちょうど、1989年に発行した「ぼしゅうちゅう復刻版T」に、私がそれまでの支部の歴史について簡単にまとめたものがありますので、それを基にして、さらに現在までの活動も加えて、これまでの静岡支部の活動をみていきます。 地学団体研究会(地団研)東京支部東海大班の発足について現在資料がないため、詳細については不明です。しかし、東海大班は、東海大学海洋学部海洋資源学科創設後のはやい時期から存在したと思われます。東海大班の活動について、資料として残っているのは、「ぼしゅうちゅう」が発行された1971年付近からですが、それにしても不完全なものです。しかし、1973年以降にきちんとした班活動が本格的に始まり、それからの資料はきちんと保存されています。 1970年代から現在までの地団研東海大班−静岡支部の会員構成や活動内容を図にまとめてみました。東海大班−静岡支部の会員構成や活動内容から、その歴史を7つの時期に分けて、そのあゆみを見ていくことにします。 第T期 東海大班創立から1972年度までの期間で、活動の資料が残っていないので具体的なことがわかりません。その頃の海洋資源学科(地質)は教員・学生とも少なく、ほとんどのメンバーが地団研の会員だったようです。そして、資源学科の活動それ自体が、地団研東海大班の活動と一致していたようなところもあり、「地球科学」・「そくほう」の配布以外とりたてて地団研独自の活動という区分けもなかったようです。ただ年度はじめに地団研の班会議を開いて、班長や係を決めたり、学習会を行っていました。 しかし、1970年頃から資源学科の学生や教員の人数が増加し、学科内の専門分野も分化しはじめました。このような新しい状況になったにもかかわらず、地団研東海大班ではそれまでの不明瞭な班体制と班活動が続いていました。そのため、活動はもちろん班員の把握や会費の徴収、「そくほう」などの配布もできない状態になっていました。この頃は、郵送会員というものがあったようで、卒業して移動した会員まで班の会員に含まれていました。 このような地団研東海大班の現状に落胆し不信を抱く学生会員たちは、班から離れ、独自で地団研的な活動をはじめていました。 第U期 1973年度から1975年度までの時期で、班の日常活動の定着化がはかられました。第T期のこのような状況を打開すべく、学生・院生を中心に、日常活動の定着化と目的意識をもった班活動の実施をもりこんだ「三年計画」が班総会で承認され、学生・院生を中心に組織的に、活発な活動が展開されました。毎月1回の「ぼしゅうちゅう」の発行、巡検、学習会の実施、第T期の会費未回収分の整理など、今ある静岡支部の基本的な活動体制が作られていきました。 この時期は精力的な日常活動の実践の中から、各係の目的や問題点が討議され、仕事の定式化がなされました。班の活動の中心となるような創造活動については、創造活動小委員会や総会で検討され、支部の創造活動の中心として駿河湾団体研究グループが発足しました。また、教師会員の組織化もはかられました。 1975年度には、8月の前橋で行われた地団研総会において、静岡支部の発足が承認されました。支部ではその記念として8月に地団研学生連絡組織の学生フェスティバル(駿河湾フェスティバル)を相良で開催しました。 第V期 静岡支部の事務局の中心は、海洋学部の3年生と院生によって構成されていました。海洋学部は、1973年度から1987年度まで教養部が沼津校舎にあり、清水校舎には3・4年生の学生がいました。4年生は卒論でフィールドや他の研究機関に行っていることが多いため、3年生が静岡支部や駿河湾団研の活動の中心になっていました。3年生は清水校舎にきて初めて地団研に入会する人も多く、院生や4年生が静岡支部や団研の活動の中で、会員を育てていきました。しかし、毎年入れ替わる学生が支部活動の中心になっていたため、入会する学生の少ない時や4年生・院生の減少によって、第U期で定着化した支部の活動が停滞することもありました。 1976年度から1978年度にあたるこの時期には活発な院生や学生が多く、第U期の雰囲気も残っていたため、活動の意味や団研の実績、今後の支部活動などについていろいろな討論が行われました。これらについては、そのころの「ぼしゅうちゅう」に掲載されていますので、参考にして下さい。また、この時期のおわりごろには、静岡県に根づいた支部活動が停滞しているとの議論から、地元の教師を中心とした支部づくりが検討されました。 第W期 第U期〜第V期の学生と院生会員のほとんどが1978年度末に卒業したために、いったん活動が停滞します。しかし、よく年の1980年には学生会員の増加などによって、活動が復活しました。特に、1980年度と1981年度には内容の充実した「ぼしゅうちゅう」が毎年10号づつ発行されました。また、この時期には、第U期からの日曜巡検をまとめた「日曜の地学・静岡の地質をめぐって」が、1981年1月に出版されました。この編集作業は、支部の教師層が中心となって行われました。この本によって、静岡支部は静岡県の人たちに知られるとともに、普及活動のよい道具を持つことができました。 第X期 1982年度から1985年までの時期で、全体に活動が停滞傾向にあります。それまで活動を支えてきた大学院生や学生が卒業し、活動の中心となる学生会員も少なかったことを反映していると思われます。しかし、この時期の学生会員の活動は、試行錯誤の中で、学生会員自らが日常活動の定着のための基礎をつくってきたとも思えます。また、この時期には駿河湾団研の活動が活発化し、団研参加人数は少ないのですが、団研調査日数の増加によってルート数が増加し、これまで調査されていた興津川地域のまとめが行われた時期でもあります。 第Y期 1986年度から1990年度までの時期で、この時期は学生会員の減少が特徴的です。特に、この時期の末期には1990年度には学生会員が7名と最低を記録します。活動においてこの時期には、その少ない学生会員の努力によって、日常活動の定例化が図られ、第X期に比べると活動が回復してきています。駿河湾団研の50回記念のまとめおよびシンポジウムや、「ぼしゅうちゅう復刻版」などのように、これまでの支部活動のまとめが行われた時期でもあります。 また、この時期の後半からは、日曜の地学の改訂や編集作業が行われています。なお、この時期の会員構成の特徴として、大学教師の数の減少とは反対に教師以外の一般会員の増加がみられます。この傾向は、次の第Z期ではもっと顕著になります。この一般会員の増加は、おもにコンサルタントなどに勤める会員の増加で、卒業生のうち静岡県に残る会員なども含まれています。 なお、1988年度からは沼津校舎での教養過程が廃止され、清水校舎に学部が統合されました。清水校舎に1〜4年生までの学生会員がそろったので、以前よりも学生会員の中で積み上げる活動が出来てくると期待していましたが、新たな制度での1・2年生の多くは、沼津校舎の頃の1・2年生にくらべて専門的な勉強に対する強い要求を示さない場合がありました。この原因として、学科内部でも野外での地質調査を専門とする教員が少なくなったことや、研究分野の多様化など、さらに学生自身の問題、地団研の活動自体の問題などもあると思われます。 第Z期 この時期は1991年から現在までの時期で、第Y期の終わりに最低に達した学生会員の数が増加に転じます。活動もこの時期には大変活発になりますが、最近に近づくにつれ学生の会員数は増加する反面、活動は反対に落ち込んでいます。1993年度と1994年度には学生会員の入会者が大変に多かったのですが、夏休みを過ぎると活動に参加する会員の数が両年度とも激減しました。両年度の新入会員のうち、現在も活動に参加しているのは数名です。この時期に活発に活動していた学生会員の卒業とともに、最近では支部の実質的な活動を支えられない状況も生じています。 これまでみてきたように、この20数年の班および支部の活動は、活動の定着が行われた1973年以降、大きくは8〜6年、小さくは4〜3年周期で盛衰の変動をしているのに気づきます。これは、4年で入れ替わる学生会員が活動の中心を担っている支部活動としては、当然の結果かもしれません。しかし、この20数年の会員構成のグラフを見ると、最近の特別な場合はのぞき、会員構成に対する学生会員と大学教師の比率が極端に減少しているのに気づきます。 また、会員の年齢構成を検討すると、10〜20代のほとんどが学生で、院生・研究生は2〜3名いるものの、活動の中心となっていません。30代の会員は7〜8名ほどいますが、ほとんどコンサルに勤める会員と中・高の教師会員で、仕事上多忙なことや地域的に離れて住んでいることなどから、活動の中心になっていません。さらに中・高の教師会員の増加は今後あまり見込めません。また、40〜50代の会員は15名以上いますが、多くは高校教師で、現在支部の直接の活動の中心とはなっていません。大学教師のほとんども活動に参加していません。 支部会員の構成に関する問題点は、30代後半の世代と20代前半の世代の中間が欠けていることです。20代前半の世代は学生会員なので、このことは年を追うごとにその差が大きくなることを意味しています。そして、20代後半から30代の最も活動的な人材が、今でも少ないのですが、これが今後空洞化することになり、学生にとって身近な世代の人がいなくなります。 現在、静岡支部の活動形態は、学生会員が中心となった日常活動が中心で、教員やコンサル関係の会員はそれを支援する形ですすめられています。しかし、これまでみてきたように、学生会員の減少傾向は明らかであり、学生会員がまったくいなくなってしまう前に、支部全体として支部活動や活動形態について考え直さなくてはならないのではないでしょうか。 これまでの活動を維持するのであれば、維持できるように学生会員への普及と教育などの活動を支部として会員全体で強化していかなくてはなりません。支部創設20周年を機会に、静岡支部の将来について、会員全体で組織的に議論をはじめたいと考えています。 |