海底の世界 |
星野通平 東海大学出版会 1966年7月 かつて、ある高名な詩人と話しあったとき、海をどう思うか、とたずねられたことがある。 「ないでいるときは兎も角、船橋の窓を、流れ星のように星が往復する大時化のときは、なんの因果でこんな仕事をやるようになったか、と思います。」と、あまり詩的でない答えをした。 「いま、自分の足下には、たれもいったことのない秘境が横たわっていると思えば、たぶん、考えがかわるだろう。」 詩人は、こういって、にんまりと笑った。 そういえは、嵐も詩である。そして、この世のものとも思えぬ、青白く夜光虫がひかる波頭をきってすすむ夜、陸がまったくみえない水平線の彼方に、入道雲が湧きたつ真昼どき、つづみのようにくびれて昇る満月、山のようなうねりにもまれていく船を、どこまでもついてくるかもめの姿。 雑沓にあけくれる陸上とちがって、海には、すばらしい自然の詩がみちみちている。 詩人がいう、足下の世界。本書は、その世界の葉内書である。この世界は、真実、暗黒の世界であり、その本格的な探検は、まだ緒についたばかりである。案内書のいたるところで、物足らなさを感じられるとしたら、一つには、そういった事情を諒解していただきたい。もちろん、案内人として、筆者の力が不足していることは、いうまでもない。ただ、この暗黒の世界の、主要な地勢を理解していただければ幸である。 筆者は、1958年の夏、本州−四国連絡橋の海底調査のため、四国の坂出へ出張した。本書の草稿は、西日のつよい坂出の旅宿でまとめられたもので、「海溝」は雑誌自然(1961年4月号)に、マレーの伝記は海の世界(1965年3月号)にのせたものである。 この機会に、海できたえていただいた、須田院次先生・工藤慶策氏をはじめとする水路部測量課の先輩諸氏・佐藤孫七船長(明洋)・大西菊太郎坑海長(拓洋)などの方がたに、お礼を申上げたい。また、井尻正二氏は、草稿をみていろいろ注意してくれたし、岩下光男氏には、出版のあっせんをしていただいた。お礼を申上げる次第である。 1965年6月22日 星野通平 (本書の「まえがき」より) |
2001/09/02
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