反プレートテクトニクス論 A Plate Tectonics Controversy |
星野通平著 「反プレートテクトニクス論」 柴 正博 2010年11月 English Version プレートテクトニクス説(プレート説)は,日本において一般の人に対して地震や火山活動の原因だと説明され,学校では教科書で,家庭では新聞やテレビによって普及している.地球科学では,現在のところプレート説が前提とされてテクトニクスや古地理が議論されている.最近,日本では,日本の地質学界におけるプレート説の受入れの遅れを批判したいくつかの書籍やレビューが出版された. 著者は,この批判に関して科学者としての自らの考えを提示すべく本書を出版した.本書の中で,著者はプレート説が実際に地球科学の諸問題を解決しうる唯一の説であるかをその検証を踏まえて疑問を訴えている.そのうえで,独自の地球の歴史についての説とプレート説流行の背景を紹介している.そして,若い人たちがおのおのの仮説をもって,プレート説一辺倒の地球科学の世界から出て,彼らがもっと自由闊達な討論を巻き起こすべきと願っていることを述べている. 第1章の「プレート説の誕生」では,プレート説の誕生とその内容が簡単に述べられている.第2章の「プレート説が主張する観測事実の検証」では,中央海嶺,海溝,大洋底,大陸漂移,プレート運動の原動力についてプレート説とはそぐわない具体的の事実にもとづき多くの疑問を提示し,著者のそれらの形成に関する考え方を加えている.第3章の「地球の歴史」では,著者の地球の歴史の見解が簡単に述べられ,最後の第4章の「プレート説流行の背景」では,プレート説の流行の科学的,思想的,社会的背景を述べている. 本書の中核をなす第2章では,中央海嶺に関して,中央海嶺を構成する岩石がすべて中央海嶺型玄武岩でないことや,古い時代または大陸に起源をもつ岩石も含まれている多くの例があげられている.裂谷帯については,東アフリカ-紅海裂谷帯を例にその地形形成がプレート説では説明できないことが示されている. 海溝については,中央海嶺と対をなさない多くの海溝があることと,海溝の堆積物は陸から供給されていること,その表層は一般に乱されていないこと,海溝の基盤に玄武岩層がないことが示されている.海溝太洋底斜面から縁辺海膨にかけて地域は展張場の構造に支配され,アルカリ玄武岩が分布し,縁辺海膨では高い地殻熱流量と正の重力異常値が観測されていることを指摘している.海溝に沿う地震帯の勾配はさまざまで,深度によってその勾配が変化することも述べられている. 大洋底については,大洋地殻が3層構造をもっていて,それがどのように形成されるかという問題が議論されている.プレート説は大洋底地殻の成因と,プレート間玄武岩活動,大洋底のモホ面深度が11kmにあることを説明できないとしている.大洋地殻の第2層の玄武岩が地磁気の縞異常の年代を示していないことと,地磁気静穏帯についてプレート説では説明できないことを指摘している.また,大陸性岩石が太洋盆と太洋域の火山島では発見されることがあり,その年代が原生代後期を示していることを述べている.そして,西太平洋と東太平洋の岩石圏の厚さの違いは原生代末期の台地化のレベルの違いで説明している. 大陸移動については,ヒマラヤ-チベットの隆起と生物地理をとりあげて,インド大陸のユーラシア大陸との衝突とヒマラヤ山脈の隆起の時代とは一致しないことを指摘している.そして,世界の生物地理パターンは大陸漂移が原因ではなく,むしろ中生代以降の陸上生物の分布は海水準上昇による陸橋の沈水によって支配されていると述べている. プレート運動の原動力については,プレート説を信じる研究者はプレートの冷却によって密度が高くなった岩層が後続のものを引っ張り込むとしているが,プレートがなぜ生まれたか,最初のプレートの運動の原動力は何だったのかを説明しなければ真相は明らかにされないと述べている. 著者は,世界中に同時に侵食基準面を形成する海水準をもとに地殻の形成とその歴史を研究してきた.1962年に著者によって著された「太平洋」の中では,彼は中新世末期以降海水準が2000m上昇したことを述べ,1975年の「Eustacy in relation to Orogenic Stage」では白亜紀中期の海水準が現在にくらべて4000m低い位置にあったことを述べた.1991年の「玄武岩時代」では,地球の歴史を花崗岩時代,漸移時代,玄武岩時代に区分し,1998年の「The Expanding Earth」と「Crustal Development and Sea Level」において,地殻の形成と発展を総括した彼の地球膨張論が完成された. 「玄武岩時代」以降の彼の著書では,原生代から古生代の世界中の台地と地向斜造山帯の形成に関する詳細な記載やそれらの造講史の議論が展開されている.私たちは狭い島弧の新しい時代の地質の一部しか知らないため,数10億年にわたる壮大でグローバルな彼の構造発達史を理解することが困難であった.また,私たちは現在の海面近くに住んでいるため,海面下4kmの中期白亜紀の準平原面やまたは海面下11kmの原生代末期グレンビル時代の準平原面のレベルに立って,それぞれの時代のダイナミックや,陸地と海底の隆起,さらに海面の上昇を理解することも困難な作業であった. 本書では,プレート説で説明できない中央海嶺や海溝,大洋底などに見られる地質学的な諸問題についてやさしく解説されている.私たちはそれを読むうちに,これらの地形や地質構造の形成がどのように行われてきたかを考える機会を多く与えられた.また,彼のいう原生代から古生代(漸移時代)の台地形成と地向斜造山帯の形成,さらにそれに引き続く残留盆地と島弧・海溝系,海嶺の形成過程について,少なくとも理解することができた. すなわち,彼の言う地球の歴史を概観すれば,地殻は次のように形成された. 地球の誕生の早期にユークライト隕石が集まり,その後にエンスタタイト隕石が原始地球の表層を形成した.前者は岩流圏を後者は最上部マントル(岩石圏下部層)を形成した.花崗岩時代または始生代に,前者は大気・水圏・花崗岩地殻を分化し,後者は原生代以降,特には中生代以降より活発に未分化マグマとして地殻下部に上昇してきている.このマグマは,超塩基性岩と混合して性質のさまざまな種類の玄武岩をつくり,迸入によって地殻上部を隆起させた. 漸移時代(原生代から古生代)には,マグネシウムの多い超塩基性マグマとカルシウムの多い塩基性マグマが混合して形成した層状火成岩体の活動により,隆起した台地が形成された.二酸化炭素や水蒸気を含んだ原生代の高温の大気は,隆起した台地を激しく侵食し,広大な準平原をつくった.そしてさらに,台地のまわりの海は堆積物で埋め立てられて,海面は上昇して,台地域は浅海となった.ストロマトライトはその浅海に発達して,苦灰岩を形成し,同時に大量の酸素を大気に放出した. 台地の間の海は地向斜の始まりで,そこには高く隆起した台地から大量の堆積物が運ばれた.多くの地向斜帯の底は現在の海面下50kmほどの深さにあり,この深さは始生代末期の海底であった.原生代末期(グレンビル時代)の10億年ほど前に,海面は現在にくらべて11kmほど低い位置まで上昇し,そのとき地球上のいたるところに準平原が形成された.この面の大部分が現在の太洋底のモホ面である.その後にこの準平原面は周辺の地向斜造山帯が隆起したために,現在古期残留盆地の底となった. 幅の広い地向斜盆の場合,古期・新期台地である中央台地が隆起したときに,双方向の花弁状の逆断層を生じた.その逆断層は,その後も引き続き活動して,地向斜の岩層を台地の輪郭にあわせて外側の台地準平原面(大洋底モホ面)上に押し出した.このような過程で,縁海(中央台地)−島弧(周辺地向斜-造山帯)−海溝(圧縮帯)が形成された.中央台地をもたない幅の狭い地向斜盆の場合,地向斜帯の隆起は逆断層をともなう岩層の押し出しはない.大洋底の海嶺はこのような地向斜造山帯から構成されている. 中生代から現在までの地球の最も新しい時代(玄武岩時代)は,カルシウムの多い玄武岩質火成岩マグマの活動によって特徴づけられる.それによって,海面上昇をともなう陸地と太洋底の隆起(造陸運動)とが起こった.この玄武岩質火成岩は,主に岩流圏起源の高温・高圧マグマで,体積を増大して岩石圏の弱線(始生代の線構造)に沿って線状の深部断層を生じ,台地域では基盤の下に水平に広がった.陸上に噴出したものは大陸溢流玄武岩となり,海洋域に上昇したマグマは原生代末期の準平原を一面におおって海洋底地殻をなした.地向斜帯では,堆積層を押し上げて地下に広がり,押し上がった堆積層は島弧や海嶺を形成した.中生代以降の海洋底玄武岩層による急激な海底の上げ底作用によって,海面は中生代以降から6km上昇した. 著者の地球の歴史の考え方は,プレート説のような単純な循環論でなく,地殻の興味深い発展を描いている.この説では,地球の誕生から現在までに,花崗岩時代,漸移時代,玄武岩時代という時代ごとに異なった火成活動や地殻変動があり,またそれらが起こった地球表面の位置がそれぞれの時代の地殻形成とともにより上位へと隆起して重なり,地球表層の姿を変化させたことが語られている.本書を通じて,大陸の下や海底の下に隠されている地球の歴史の一部を垣間見ることができ,プレート説のような軽薄な仮説では味わえない,地球科学の奥深さとテーマの魅力を再認識することができた. |
2010/12/30
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