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最終更新日:01/04/05

ペレの怒り

 26日の朝は、午前4時起きで、6時にはホテルを出て空港へ行き、ホノルルを経由して成田へ帰るというスケジュールだった。ハワイ島にきてから風邪のためか、高山病ならぬ低山病のためか体と頭がピリッとしない。バスに乗る直前になって携帯電話をホテルに置き忘れたかと探したり、成田に帰ってすぐ使う書類をどこに入れたか忘れて空港でトランクをあけたりと、その朝はひとりドタバタしていた。

 早朝のヒロはまだ涼しかったが、ホノルルはさすがに少し蒸し暑く感じた。しかし、ワイキキで1日休暇を楽しめるわけでもなく、飛行機の乗り継ぎで一服できるだけなのである。近くに見えるヤシの木以外に、なんともホノルルにいるという実感がない。

 早々、帰還の便の人となり、9時間後には成田に無事帰ることができた。無事といっても、妻に借りて2週間苦楽をともにしたトランクは、成田で受け取ったときには底の部分に亀裂が入り大破した姿で戻ってきた。各所で購入した本をギュッとつめこんだせいで相当重たくなったことも原因とは思うが、マウナケア山頂で岩石を採集して持ちかえったことが、ハワイの火山の女神ペレに怒りをかったのか、ちょうど岩石をつめていたトランクの部分に大きな亀裂があった。

 東京は、この日大雪で、成田空港も午後6時に閉鎖になった。私たちの帰りの便がもう数時間遅く着くものだったら、成田には着陸できなかっただろう。全国から来られた方々のうちには、その日のうちに帰宅できなかった方もあったと思うが、私は幸いにして、新幹線もあまり遅れることなく、迎えにきてくれた妻と無事静岡に帰ることができた。



おわりに

 視察研修全体を通して、これからの博物館のあり方や博物館展示について、たいへん参考になった。今回視察したアメリカの博物館は日本の博物館にくらべ規模の大きいところが多かったが、規模の大小にかかわらず、どこも日本でいえば財団や協会といったところが運営していて、博物館として経済的にも組織的にも独立していた。

 そのため、博物館の理念も明確で、組織自体も研究・展示・教育・運営などの各部門に分かれ、それが一体化して博物館活動が展開されているように見えた。とくに、シカゴのフィールド博物館では、数年前にマスタープランがつくられ、それにしたがって行われている博物館マネージメントや、情報の統合化および展示手法には、たいへん興味深かった。

 視察研修で見学してきた展示やその手法の多くは、これからの私の自然史博物館の設計や展示にたいへん参考になった。今回の視察研修に参加できたことを感謝するとともに、お世話いただいた全国科学博物館協議会とJTBのみなさんと、ともに苦楽をともにして駆け足のアメリカ横断旅行を無事にはたせた参加メンバーのみなさんに感謝したい。

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登録日:01/04/05

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