清水平野は江戸時代以前まで巴川の河口の湿地で、人はも河口の砂州や扇状地の端に住んでいました。徳川家康が安倍川に薩摩堤をつくったことから、清水平野に安倍川の水が流れ込まなくなり、清水平野に乾いた土地がふえてきました。また、海側の砂州もひろがり、東海道も整備されて清水の町ができてきました。
私の住んでいる清水・静岡の周辺の山地や有度丘陵(日本平)の地質や、三保半島とその海域の地質、平野の下の地層などを調べて、人が住みはじめた旧石器時代のころからの、清水や・静岡、駿河湾とその周辺の地形がどのように変わってきたかを考えます。
- 駿河湾西部,有度丘陵および沖合の地質構造(1990年
4月)
- 駿河湾,石花海北堆の礫の起源(1991年11月)
- 駿河湾西岸における海浜礫の移動(1994年
3月)
- 静岡県有度丘陵に分布する草薙層の層序(1994年 5月)
- 2009年8月11日駿河湾地震の被害分布の特徴と地形・地質との関連(2010年3月)
- 静岡市有度丘陵に分布する中部更新統根古屋層の有孔虫化石群集と堆積環境の変遷.(2012年3月)
- 駿河湾はどうやってできたか?(2016年6月)
- 伊豆半島は南から来たか?(2016年6月)
- 駿河湾の形成−島弧の隆起と海水準上昇(2017年11月)
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