テレルジとサマーハウス

 

 キャンプを後にして、一路テレルジに向かう。トーラ川の見える峠で一休みした(写真下)。同行している息子のマンダルくんは、今年の夏に兄弟や友人たちとテレルジからボートで川くだりを計画したが、トーラ川が東に遠回りしていることを計算にいれていなかったことと、ボートが初日に転覆して食料などが流されたことで、なにも食べずに3日もかけてこの川を下りウランバートルまで着いたエピソードを話てくれた。

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テレルジは1989年11月に私がモンゴルに初めて来たときに訪れた場所でもある。その時は雪で覆われ、極寒の閑散とした山の中といった印象だったが、今は緑と山の景色がとても明るく美しく、モンゴル有数の避暑地としての雰囲気をもっている。

亀石(写真左)を見学し、さらに山を越えて、テレルジのレストラン(写真右)で食事した。このレストランは以前にとまったロッジの山の下にあったところで、二次会でバルツボルジ教授たちとウィスキーを飲みにきたところだということを思いだした。たしか、その時ウィスキーはホワイトホースしかなかったが、今の棚にはホワイトホースの姿はなかった。マンダルくんの話では、かつて私の泊まったこの山の上のロッジは火災でなくなったらしい。

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テレルジからウランバートルまで帰り、やはり一休みして、今晩はトゥーメンバイヤーの家で招待を受けた。家には昨年までのゴビの旅でお世話になっているオトゴンさんも来ていた。オトゴンさんは、今年の春に貿易会社に転職したらしく、忙しいキャリアとして働いているらしい。英語も堪能なので、よい職を得たと思う。毎日の酒宴に少し体も疲れ気味で、この夜はあまり飲まずにおいとました。

26日は、ガンボルト氏のサマーハウスに出かけた。サマーハウスの建物はできたものの、暖炉以外まだ内装ができていなかった。建物の中では数人の職人が働いていた。私たちは隣に建ててあるゲルに招待されて、アルヒを酌み交わした。妻はウィスキーを飲んでベッドで寝てしまい、ガンボルトと私はサマーハウスのできたばかりの暖炉の前でアルヒを飲みつづけた。

27日 今日はもう日本に帰る日だったが、ゆっくり寝ていた。天気はとてもよかった。帰り支度と朝食をとり、テレビでも見ながら帰る時間を待った。ガンボルトは仕事があるらしく、家に帰ってきて着替えて出ていった。別れに、来年は家族できなさいと言ってくれた。トゥメンバイヤーが空港まで送りに来てくれた。オユンさんは、妻を抱きしめた。この旅は、どうもオユンさんがプレゼントしてくれたもののように思えた。

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最終更新日:00/04/27

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