モンゴルとの出会い |
モンゴルへの旅 1990年4月・5月 ぼしゅうちゅう78号・79号に掲載 柴 正博 私は、1989年の11月12日から21日まで、モンゴルの首都ウランバートルに出張しました。この出張の目的は、モンゴルのゴビ砂漠でどのような恐竜化石が発見されているかということを視察することと、将来モンゴル科学アカデミーと恐竜化石の共同発掘が可能かどうかということを調べることでした。
モンゴル人民共和国は、中国とソビエトにはさまれた国で、海抜1,500mのモンゴル高原にあります。国の広さは日本の国土の4倍強ですが、人口200万人と少なく、そのうち60万人は首都のウランバートルにすんでいます。産業も牛や馬、羊などを放牧と、その肉や革、羊毛の加工といったものしかありません。 歴史的には、清朝の間接支配、ロシア革命の影響をうけたチェイバルサンらの革命、のちの中ソ対立の政治的影響を強くうけて最近までほとんど西側先進国との交流のなかった国です。現在の社会体制は、ソビエト型の社会主義国家で、ソビエトから年間約9億ドルの援助をうけてきました。これはモンゴルの国民総生産のほぼ半分にあたります。 しかし、ソビエトのペレストロイカ政策の影響で、最近ではソビエトからの援助だけでなく独自で自活の道を模索しはじめたところです。また、東欧諸国の民主化の波も遠くモンゴルにも波及しはじめ、今年の1月にはウランバートルでデモがあったとか、2月には野党ができたとか伝え聞きます。 ウランバートルへ行く交通手段としては、北京ないしモスクワから汽車または飛行機があります。北京からウランバートルまで早い汽車で約30時間かかりますが、冬の期間にウランバートルで乗車も下車もできないということで、今回飛行機を利用しました。これについても東京での情報では11月からは運航していないらしいということで、何度か確認をとって運航していることがわかり、出発することができました。 北京からウランバートルまでの便は、毎週月曜日に運航しています。朝に飛行機がウランバートルを飛び立ち北京に来て、午後に北京からの客を乗せてとんぼ帰りしています。ですから一度ウランバートルへ行ってしまいますと、次の週の月曜日にならないと北京にかえって来れないというわけです。飛行機は1年中運航しているようですが、雷雲の発生する夏にしばしば運休することがあるようです。北京−ウランバートルの所用時間は3時間ほどでした。 北 京 11月12日の夕方に北京についた私達は、旅行社の人から言われたようにモンゴル航空の明日の便のリコンファーム(座席の再確認)をとるように中国人のガイドにお願いした。しかし、モンゴル航空のとりあつかいは大使館でやっているため、その日のうちに連絡がとれませんでした。そこで、13日の朝、私達は天安門や点壇公園をめぐり、モンゴル大使館に行ってみました。ビザに関する仕事を忙しくやっている係の人に聞くと、モンゴル航空の係の人は今いないので、明日来てくれと追いはらわれました。話にならないので、早い昼食をすませて、早々に北京空港にむかいました。 北京空港に入り、モンゴル航空のカウンターを捜しましたが、みつかりません。うろうろしていると、いかにもモンゴルの古老という人がいたので、聞くと中国航空のカウンターのひとつに案内してくれました。この人が大使館を留守にして、空港にきていたモンゴル航空の係の人だったのでしょう。カウンターで荷物をあずけ、航空券をうけとり、税関をすませ、フィンガーに入りましたが、今度は待合室がわかりません。フィンガーの中央にある案内所の女の子に聞いても、「NO!」というだけ。たしかに、彼女の持っているリストには、我々の乗るはずの飛行機が書いていません。不安になっていると、さっきあったモンゴル航空の職員らしき古老があらわれたので、その人についていくことにしました。 モンゴルへの空の旅 飛行機は、ソビエト製のターボプロップ、イリュウシン24型で、約40人乗りの小さなものでしだ。乗客は中国やモンゴル、ソビエトの人達と我々3人を含め全部で約20人程度でした。我々が後部の小さな入口から乗り込み座席につくと、ほどなく車輪が動きだし、飛行機は14時10分に北京空港を離陸しました。 飛行機は北へ向い、北京郊外の田園をすぎ、山地に近づくと、北京市の水源になっているのだろうダムの上を飛び、北北西に進路をとり、山地にそって上昇しました。左の窓からは山の尾根の上に万里の長城が西に白く続いていました。山地には曲流した川が多数あり、谷合や河原には部落がみえました。離陸して2〜30分程度たつと、山地にうすく雪がかかってきました。山の斜面には耕作でもしたのか水平な段々があって、うすく雪がかぶり、より一層その段々が強調されてみえます。遠くには雪をいただいた山嶺が連なっている。右には、大シンアンリン山脈(大興安嶺)へ続く山地がみえ、左にはインシャン(陰山)山脈の嶺がつづいています。 飛行機は山地の上にでて、上昇をやめました。水平な大地がつづいています。これがモンゴル高原です。部落はあいかわらず、点々とあり、耕作地なのか、大地の中に四角く区切られたすじのついた地面がみえます。湖らしきものは、青白く凍っています。部落や耕作地がなくなり、コントラストのない砂漠? 草原といっても草はない大地がつづきます。 離陸後1時間、大地には低い起伏があり、うすく雪がかぶっています。しかし、すぐにまたコントラストのない黄褐色の大地の風景にかわりました。東には直線的に湖があり、その東側にそった丘にはエンジ色の地面が露出しています。コントラストのない大地の上に風の通った跡が東南東−西北西方向に帯状に幅広くついています。おそらくジョット気流の通り道でしょう。砂漠です。砂漠の色はうすい赤みをおびた黄土色で、この赤みは下の露岩の赤色風化によるものとみられます。 我々の飛行機は、北京とウランバートルを結ぶ鉄道の線路にほぼ沿って、それほど高くない高度を飛んでいます。そのため、線路や道らしき線がみえることも、駅らしきものもみえることがありますが、家らしきものは数えられるほどしかありません。 離陸後1時間40分、少し起伏のある地形が現れました。うすく雪におおわれコントラストがついて、山地に地層の走向ぞいにすじがついています。地層の褶曲や曲がりなどもよくわかります。谷の形や水系もきれいで、よく教科書にある準平原、幼年期などの地形をモデルではなく現実にみているようです。まったく感動的な風景です。低い山地が直線的に切れて砂漠がひろがっています。山地と砂漠の境界はどこでも直線的で、地塊ブロックを思いおこさせます。川の跡らしきものがみえましたが、また起伏の少ない砂漠になってきました。。 モンゴル高原の地質はおおまかに言うと、古生代の基盤に中生代から新生代の地層、特に白亜紀の陸成層が被覆しています。南部には前期白亜紀、北部には後期白亜紀以降の地層が露出していて、この地層からいくつかの場所で白亜紀の恐竜の化石が大量に発見されています。 離陸後2時間45分、砂漠にゆるやかな起伏が見えてきました。眼下は全面真っ白な雪でおおわれています。西には夕日が、東には満月、下は一面の雪原、北に雪におおわれた山地もみえてきました。飛行機が高度を下げはじめ、山には針葉樹の林がみえます。山を越えると東西に川が流れる盆地がみえました。ウランバートルです。夕刻のうすくけむった空気のなかに、今まで見てきた砂漠とはまったく違った世界が現れました。 ウランバートル ウランバートル空港には午後5時に到着しました。快適で、感動に満ちた3時間の飛行機の旅でした。空港につくとモンゴル平和委員会の3人の人が、出迎えに来てくれていました。平和委員会のハリューン氏はロシア人のような顔立ちをしていて、会議では平和委員会の代表として、またそれ以外では我々の世話役をしてくださいました。バーサンドール氏はハリューン氏の手伝いで我々の送迎などの世話をしてくださいました。彼はとても日本人に似ていて、空港で初めて会ったときなど、ちょうど私のおじさんにとてもよく似ていて、つい日本語で声をかけてしまいそうになったほどです。 16日には、午前中に会議をもち、午後時間があいたので中央博物館に見学にいきましたが、独立記念週間に開館した代休ということで休館でした。車を帰してしまったのでしかたなく、氷点下の町の中を歩いてホテルにもどりました。ちょうど風がきつかったので、20分ぐらい歩いたのですが、ホテルに着く頃には体が冷えきっていました。11月の昼間でもここでは零下10〜20度くらいの気温で、一番冷える1月頃には零下40度にもなることがあるといいます。ここでは帽子とマフラーと手袋は必需品です。 人文関係ではチンギスカーンや蒙古帝国に関する新しい展示が充実していました。チンギスカーンはモンゴルにとっての民族的英雄であるにもかかわらず、ソビエトにとっては侵略者であるためなどから、今から1〜2年前まではあまり表に名前が出てこなかったということです。しかし、最近ではホテルやお酒の名前などにも登場し、チンギスカーンの墓探しが今年から読売新聞と東海大学などの協力で行われているようです。 18日には二日酔いでウランバートルに帰り、国際サーカスの見学、モンゴル放送(ラジオ)の取材、中央博物館のツオクトバートル氏の招待での会食などと忙しく一日が過ぎていきました。20日の朝には飛行機でウランバートルを出るため、我々に残された日は19日の日曜日しかありませんでした。会議などの仕事で今までウランバートルの町や他の博物館を見ていなかったため、残された1日で、レーニン博物館や美術館博物館、仏教博物館などを回ることにしました。また、20日には前日に果たせなかった高瀬日本大使とお合いすることもできました。 『ホーム』へ戻る 最終更新日:2014年11月16日 |