前号で、新生代の新しい時代区分において「第三紀」がなくなったことと、「第四紀」の基底をめぐって議論があることを紹介しました。すなわち、2008年のノルウェーでの国際国地質学会議(IGC)で発表された地質年代表(GTS2008)では、新生代は"Paleogene"と"Neogene"、それと"Quaternary"(第四紀)の3つに区分され、「第四紀」および「更新世(Pleistocene)」の基底は従来のカラブリアン期(Calabrian)の基底(1.81 Ma)とジェラ期(Gelasian)の基底(2.59 Ma)のふたつが併記されました(図1 International
Stratigraphic Chart 2008; この図では破線で第四紀の境界がふたつ示してあります)。
この第四紀の定義および更新世の基底の問題は、1985年に更新世が再定義されて以来の課題でしたが、ノルウェーでのIGCでの議論の後、今年の5月に国際層序委員会(ICS)で投票が行われました。その結果、第四紀および第四系の基底はこれまで鮮新世の最上部の時代であったジェラシアン期の基底である2.588 Maまでとする、という国際第四紀連合(INQUA)などが提案した年代区分が採択されました(図2)。
今回、第四紀の基底が約80万年古くなったわけですが、そもそも「第四紀」とはなんなのでしょうか。まず、その定義と歴史的背景をみてみましょう。
第四紀という時代名称は、1829年にデノアイエ(J. Desnoyers)が、パリ盆地の第三紀の地層の上に重なる海成層の年代名として用いました。その後、1833年に「地質学原理」を著したライエル(C. Lyell)が、地層に含まれる貝化石の現生種割合によって新生代の時代区分をした際に、現生種を70%以上含む第三紀の一番最後の時代を「最新の時代」という意味の"Pleistocene"(更新世)とし、その後の人類の遺物を含む地層の時代を"Recent"(現世)としました。ライエルが更新世と定義した地層は、現在約1.8 Ma以降とされている従来の更新世にほぼ対応しているようです。
つづいて、1846年にフォーブズ(E. Forbes)は、ライエルが第三紀の最後の時代とした更新世を第四紀に含め、その時代が氷河時代に相当するとして更新世(氷河期)後の時代を現世と提案しました。その時代区分はその後広く定着しました。現世を完新世(Holocene)と呼ぶことになったのは、1885年の第3回IGCで決定されました。
新生代の時代区分は哺乳類化石で区分されることが多く、1911年にオー(E.
Haug)は、第三紀と第四紀の境界を現代型のウシ、ゾウ、ウマの化石が最初に出現するときを、第四紀のはじまりと定義しました。また、第四紀は、氷河期が特徴であると同時に新しく出現したヒトが特徴となる時代で、1920年ころには「人類紀」(Anthropogene)とも呼ばれました。しかし、その頃には人類化石の資料は不十分でしたので、動植物化石、火山灰、氷河の痕跡、古地磁気、放射年代などを用いて、第四紀の基底を決める研究が行われました。
1948年のロンドンでのIGCで、第四紀の基底を定義するにあたって、第三紀との境界を海生動物群の変化にもとづいて決めることが提案され、模式地の選定が行われました。その結果、イタリアの陸成で哺乳類化石を多産するビラフランカ層とほぼ同時代に海で堆積したカラブリア層分布地域が模式地として最適として、多くの研究者によって詳細に検討されることになりました。
その結果、更新統の基底の境界模式は、イタリアのブリカセクションに露出するカラブリア層が選ばれ、第四紀の基底マーカーベッドとしてオルドバイ正磁極期上限付近の腐泥層(sapropel layer)e層の上面が、1985年に国際地質科学連合(IUGS)で批准され、その場所に「黄金のスパイク」(Golden spike)が打ち込まれ、GSSP(Globale Standard Section and Point)として認定されました。しかしその後、深海層序や酸素同位体ステージなど国際的な対比においてその境界では問題があることや、ホモ属(ホモ・ハビリス)の人類化石が2.5〜1.4 Maの各地の地層から発見されたことから、INQUAなどから模式地および模式層準を変更すべきという意見が出されてきました。
こんな矢先に、2004年のIGCでICSから「第四紀」を地質時代として無視したような地質年代表(GST2004)が提案され、INQUAは即座に反論して、今回の「第四紀の基底問題」へと発展しました。そして、INQUAは地質年代の中に「第四紀」を押し込み、その基底を約80万年下げることにも成功しました。
しかし、ICSが2004年に発表した年代表(GTS2004)は地質年代全般にわたり「期−世−紀」という地質時代の階層をもとにある一定のルールにしたがって区分されたもので、「第四紀」の取り扱いも「第三紀」と同様に、そのルールと異なる年代のカテゴリーだったために、そこから排除して別途付加されたと思われます。
ジェラシアン期の模式地は、イタリアのシシリー島西南部海岸付近にあり、ジェラ(Gela)町の北北西10kmにあるモンテ・サン・ニコラ(Monte
San Nicola)の南斜面に161mに渡って露出する露頭です。この露頭の上部にはオルドバイ正磁極期の層準があり、これを含めて浮遊性有孔虫化石などの生層序でブリカセクションと対比されているようです。
ジェラシアン期の基底は、松山逆磁極期 (C2r) と海洋同位体ステージ(MIS)103の基底で、そこは石灰質ナンノ化石Discoaster pentaradiatusとDiscoaster surculusの絶滅する層準でもあります。ジェラシアン期の上限は、オルドバイ正磁極期 (C2n) の上限で、石灰質ナンノ化石Discoaster brouweriの絶滅層準に相当します。年代値でいうと、ジェラシアン期は2.588±0.005 Maから1.806±0.005 Maの間の地質時代にあたります。
ここで出てきた海洋同位体ステージ(Marine isotope stage; MIS)とは、海洋堆積物に含まれる底生有孔虫の殻の酸素同位体組成を指標として推定された気候変動のステージです。酸素には、16O、17O、18Oの3種の同位体があり、16Oはほぼ99.8%を占め、17Oは約0.04%ときわめて少ないことから、質量比は16Oと18Oが用いられます。海水から蒸発する水蒸気は海水に比べて18Oの含有率が低く(軽い)、水蒸気が極地域で氷床として滞留すると海洋の水は18Oが多く(重く)なります。このことから、過去の海水の18O量を測定すれば、氷床の発達の程度が推定できるということになります。1950年代にシカゴ大学のエミリアニ(C.
Emiliani)は、熱帯大西洋とカリブ海の堆積物から海洋堆積物に含まれる底生有孔虫の殻(CaCO3)の18Oの量を測定して、その経年変化を気候変動と解釈して寒冷期に偶数番号をつけ温暖期に奇数番号を順番につけたMISを提案しました。現在用いられているMISはそれが踏襲されたものです。
MISの数値にはδ18O‰が用いられていますが、これは、標準海水と試料の18O/16Oの量の比率(1000分率)になります。δ18O‰の値は大きな振幅で変化していますが、2.6 Ma以降に徐々に増加しています。増加するということは氷床が発達したと推定されます。また、氷山などによって運ばれた漂流岩屑が、北太平洋では2.75
Ma以降の深海堆積物から発見されることから、このころから北半球の氷床が発達し始めたとも考えられています。
第四紀の基底をジェラシアン期の基底に求めたINQUAによる「第四紀」の基底の定義の主なものには、以下のものがあります。@MISの振幅が大きくなった時期、A北半球高緯度における漂流岩屑が検出される層準、B南北高緯度地帯での成層構造の始まり、C中国レスの堆積開始、D浮遊性有孔虫Neogloboquadrina atlanticaの出現、E北半球での氷床の開始とその海面低下によるパナマ地峡の連結など。
第四紀の始まりが明らかな気候変動の始まりに当たるというこれらの考え方に対して、顕著な気候変動の変化を認めない立場の研究者も多く、W.Berggrenは「気候変動は、第四紀研究者以外にとって時代境界を定める指標にはならない。彼らにとっては2.6 Maの気候変化は重要なことだろうが、この気候変化は過去の記録の中ではユニークなシグナルではない。」と述べています。
中新世後期から第四紀にかけては、急激な地殻の隆起と気候の寒冷化により、気候帯や海洋における水塊分布の区分が明確になり、ヒトの進化も進みました。そのどこの層準を第四紀の基底とするかという問題は、「第四紀とは何か」という根本問題に係わります。また、地層形成の立場からシーケンス層序学的な検討も重要だと思います。しかし、INQUAの定義では暗黙の了解だったようですが、「ヒト属」の出現をもって「第四紀」とするという点に従えば、「人類紀」という意味で今回の基底決定は現在の資料からとりあえず納得がいきます。
今回の決定によって、ジェラシアン期相当層は、鮮新世ではなく前期更新世になりました。そうなりますと、私たちのフィールドの地層の地質時代は、従来とかわってきます。掛川地域では、この時代の地層は掛川層群下部層の一部と上部層に相当し、房総地域では上総層群の一部、身延地域の曙層中部層以上の地層になり、これらすべてが上部鮮新統でなく下部更新統となります。ちなみに、更新世は、ジェラ期と従来の前期(カラブリアン期)が前期となり、中期と後期は以前と変わりません。
身延地域では、曙層中部層から赤石山地側が急激に隆起して曙地域に東側に傾斜する大規模なファンデルタが形成されます。しかし、掛川地域では陸側の大規模な隆起による粗粒堆積物の供給やファンデルタの形成は、小笠層群の堆積時期であるカラブリアン期の基底より上位のオルドバイ・イベント以降(1.77 Ma)から顕在化して、1.00Ma以降に劇的に激しくなります。これらの違いは、その各時期における堆積の場を含む後背地の隆起量に関係していると考えられ、現在の山側に近い地域では早い時期から隆起の影響を顕著に受けたためだけとも言えません。
第四紀の基底が80万年下がったことは、「ヒト属」の出現という第四紀の本来の意味を考えると妥当な結論だったかもしれませんが、現在型の動物相(ヒト属でいうとHomo erectus)の出現や大規模隆起による現在の地形形成という点で考えると妥当だったのでしょうか。また、これまでのカラブリアン期の基底を更新世の基底とした「第四紀」が1980年代以降一般に広まっているために、地質時代の範囲の変更は社会的にも相当な混乱を招く恐れがあります。すでに、日本では地震防災と関連して第四紀以降に活動したと定義される「活断層」の定義や分布について、社会的な問題として議論が起きています。
赤字は2010年2月27日に修正したところです。
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