「第三紀」と「第四紀」がなくなる?
−新生代の新しい時代区分−

 New subdivision of the Cainozoic era 


最終更新日:2009/04/09


 新生代は第三紀と第四紀からなることは当然のことであり,それが否定されることは「晴天の霹靂」とでもいう出来事である,と思う人も多いと思います.もともと,「第三紀」と「第四紀」という時代名は「伝統的な」古いもので,これと同様の第一紀(Primary)と第二紀(Secoundary)はとうの昔に廃棄されていました.そして,それと同様に実は,「第三紀」と「第四紀」もすでに今から20年以上前から地質時代区分として国際的には正式に使われていませんでした.

 2004年にイタリアで行われた万国地質学会(IGC)で,「第三紀」と「第四紀」がなくなった地質年代表(GTS2004)が公表されました.その年代表では,新生代は「Paleogene」と「Neogene」に区分され,第四紀は「Neogene」の中に含められ,「伝統的に地質時代名」として非公式なものとされていました.また,この「第四紀」の基底は従来の更新世の基底であったCalabrian(カラブリアン)の基底(1.81 Ma)ではなく,鮮新世の最上部の時代であるジェラシアン(Gelasian)の基底(2.6 Ma)とされていました.(Maは100万年)

 このGTS2004に対して,国際第四紀連合(INQUA)など第四紀の研究組織は根耳に水だったために大変驚きました.そして,GTS2004を発表した国際地質科学連合(IUGS)国際層序委員会(ICS)に対して地質年代表の再検討を要求し,鮮新世と更新世の境界の見直しを開始しました.その結果,2007年のINQUA大会で,「第四紀」を「Neogene」の次に続く正式な「紀」と定義すること,それと第四紀の始まりをジェラシアンの基底(2.59 Ma)とし,第四紀の始まりと更新世の始まりを一致させることから,ジェラシアンを更新世の最初の期とすることが決議されました.

 そして,2008年にノルウェーで開催された万国地質学会(IGC)で発表された地質年代表(GTS2008)では,新生代は「Paleogene」と「Neogene」,それと「第四紀」の3つに区分されました.強い反対のなかった「第三紀」はこの表でも消滅しています.また,「第四紀」すなわち更新世の基底は現在討論中ということで,従来のカラブリアンの基底(1.81 Ma)とジェラシアンの基底(2.59 Ma)のふたつが併記されています.

 日本第四紀学会など日本の第四紀関係団体でも,INQUAの2007年の決議を支持し,2.59 Maが第四紀と更新世の始まりとする見解を妥当としているそうです.ジェラシアンの基底は,掛川地域では掛川層群上部層の基底(白岩火山灰層の基底付近の層準)に相当し,房総地域では上総層群の基底(黒滝不整合)にほぼ相当します.従来の更新世の始まりであるカラブリアンの基底は,掛川地域では小笠層群の基底に相当し,房総地域では上総層群の黄和田層下部Kd38火山灰層基底付近の層準に相当します.

 「第四紀」の始めを何によって決めるかという問題は,「第四紀」をどのように定義するかということで,さまざまな意見があり今後も議論されると思います.しかし,第四紀の始まりをとりあえずどちらかに決めてもらわないと,「第四紀」や「更新世」,さらに「鮮新世」という用語自体を正確に使用できなくなる恐れがあり,心配です.

 「第四紀」はとりあえず残ったのですが,日本の地質研究や教育にとって問題なのはむしろ「第三紀」の方です.「第三紀」は「第四紀」同様に日本では地学関係者や教育関係者にはそれなりにポピラーで,新生代の紀区分である「Paleogene」と「Neogene」を日本では,それぞれ「古第三紀」と「新第三紀」としています.したがって,「第三紀」という時代を使用できなくなると,「Paleogene」と「Neogene」をどのように訳すかという問題があります.

 それについては,いくつかの提案がすでにありますが,実際に,学校でどのように教えていったらよいかなど,直面する場面もこれから多くなっていくと思われます.私は,当面,「古第三紀」と「新第三紀」という用語をそのまま使用して,混乱をさけるべきかと思います.




GST2007の第四紀とNeogeneの区分とGST2004との比較

登録日:2009年4月9日

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