博物館資料論

柴 正博

東海大学海洋学部 博物館資料論テキスト


W. 資料の収集と標本製作

1. 標本とその役割

 ここでは、博物館資料のうち自然史博物館の一次標本資料、すなわち標本についてその収集方法と標本製作について述べる。

 標本とは,同一物が数多く存在する一群から一部を抽出したもので,自然史分野で研究用あるいは教育用に個体もしくはその一部に保存のための処理をほどこしたものをいう.自然史研究では,自然界に存在するあらゆるものを対象とするため,採集したすべてのものは標本として重要である.自然史研究の対象物は空間的および時間的に異なる様相を呈するために,同じ種または種類のものであっても異なる場所または異なる時間に採集されたものはまったく同一のものではない.また,同一種とされていた個体群に類似した複数の種が混在した例もあり,自然史研究の客観的な証拠として採集物を標本として保存することは重要である.そのため,標本となる採集物については,いつどこで採集されたかという採集データがなければ,それは客観的な証拠としての価値が低くならざるを得ない.

 標本は,生物種または種類のタイプ標本(模式標本)として同定のよりどころとなり,成分分析に関する研究材料の証拠,分布や調査結果の証拠として,すなわち研究結果を保証する証拠としての役割(証拠標本:Voucher specimen)がある.また,標本は多く集めることによりその多様性変化の証拠となり,そしてその分布や環境,さらに時代によるそれらの変化について知ることができ,また生物種または種類についてはその種をより理解することの資料ともなる.また,標本は他の研究材料の同定や教育にも活用される.

 佐久間(2010)は,標本について以下のように述べている.「珍品や見栄えのいいものだけが標本として価値をもつものでなく,標本はそれ自体が充実したフィールドワークと,発見と観察,記録の成果である.そして,よい標本をつくるためには,どこでどのように採集できるかという生態的知識と,その種の特徴を正しく残すために何が必要かといった分類学的知識,さらによい状態で標本化するためにはどういう処理が必要かといった方法論,すべてを兼ね備えてなくてはならない.そして,標本は科学的研究の基礎をなす『再検討の可能性』を保障するものであり,今後のさらなる研究の基礎となるものである.また,標本の価値は,素材だけでなく,採集者の目利き,確かな標本化と記録のスキル,そして研究による付加価値の付与によって大きく変化する.」

 これら上述した標本の役割があることから,博物館では標本を採集することが重要な業務のひとつとなっている.標本のない,また標本を採集しない自然史博物館は成立しない.博物館はその設置目的や研究目的にそって,多くの標本を収集しなくてはならない.そのため標本収集にあたっては, 収集目的と収集範囲を明確にしておかなくてはならない.標本の収集方法としては,採集,購入,寄贈(寄託),交換などがある.標本の採集にあたっては,事前に採集計画を詳細に立てて行う.


2. 資料収集から標本化・登録への流れ
 
実物資料(標本)の収集から標本化および標本登録には,以下のような過程がある.

 (1) 既存資料調査:従来の調査報告や他資料からのデータ抽出を行う.
 (2) 現地調査:分布や産出・生息状況の調査を行い,採集計画を作成する.
 (3) 資料収集:(2)と同時に行う場合もある.資料の一次標本化(ナンバーリング,包装)を行う.
 (4) 標本(一次標本)の搬入と受入:搬入のための処理(洗浄,燻蒸,乾燥,保存処理)を行う.
 (5) 標本化のための処理:整形,クリーニング,プレパレーション,剥製,骨格化などを行う.
 (6) 標本(二次標本)の記載と分類:ラベルをつけ,計測と写真撮影,分類と標本カードの作成.
 (7) 標本整理と受入(二次受入):標本群の収納と標本リストの作成.
 (8) 標本評価:標本の質やその資料としての重要度によって評価する.
 (9) 標本登録:登録番号を付し,登録データベースに登録する.
 (10) 標本保存:保存場所に整理して保存し管理する.

 この過程の中で,(5) 標本化のための処理が終わった標本は,(6) 標本(二次標本)の記載と分類以下の作業を行い,まず計測と写真撮影,標本の分類と標本カードを作成する.(6) の計測と写真撮影は必ずしも必要ではないが,標本が何であるかという分類や種名の同定は必要である.また,個体数が複数の場合や,破損して不完全なものなどもあるので,場合によって点数の取り扱いが異なる.



3. 収集活動における規制と倫理

 採集や購入,寄贈・寄託など博物館が行う資料収集活動に関しては,国内外の法律に準拠し,倫理的にも配慮して行われなければならない.以下の(1)には,標本収集における関連する主な国内法を,(2)以下には海外との主な関連条約などを示した.

 標本の採集にあたっては,国立公園法などさまざまな法律に留意して許可申請を行い,地主や管轄水域の承諾を得なくてはならない.購入にあたっては,特にワシント条約や原産国の文化財や輸出入に関する法律などに留意する必要がある.最近では,特に博物館だけでなく,公的機関や組織の倫理が問われることが多く,それらに係わる業務に関しては博物館独自でも倫理規定を明文化しておく必要がある.
(1) 野生生物保護および自然保護関係法(国内法)

・絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律:種の指定等により,貴重な動植物の保護.
・鳥獣保護法(鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律):鳥獣保護事業(保護区域の設定,棲息状況の調査,有害鳥獣の駆除等)により,鳥獣の保護繁殖.
・自然環境保護法:保全地域の指定等により,自然環境の保全を図る目的で制定された法律.
・自然公園法:公園区域の指定等により,優れた自然の風景等の保護と利用.
・都市計画法および生産緑地法,都市公園法
・森林法および海岸法,温泉法
・文化財保護法:文化財や史跡名勝天然記念物の指定等により,優れた文化財や自然財の保護保存.

(2) 関係条約

・生物の多様性に関する条約(ユネスコ条約):生物の生息地域の保全に関する措置や,生物資源の適正な利用を図るための措置等を講じることにより,生物の多様性の保全等を図る目的で176ヶ国に批准.

・世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約:文化遺産及び自然遺産の認定や区域指定等を行うことにより,文化遺産及び自然遺産の保護を図る目的で92ヶ国に批准.

・絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約):貴重な野生動植物を指定し,その取引(輸出入等)について規制し,絶滅のおそれのある野生動植物の保護を図る目的で151ヶ国に批准.

・武力紛争の際の文化財保護のための条約(ハーグ条約):武力紛争の際の自国及び他国の文化財の尊重,被占領国文化財の保全および保存に対する援助,武装紛争に際し,文化財集中地区に特別保護を与え,それに対する敵対行為を禁じることを義務付けられる目的で102ヶ国に批准.日本は未締結.

・私法統一国際協会条約(ユニドロア条約):盗難文化財は返却する必要があめという目的で15ヶ国に批准.日本は未締結.

(3) ICOM(国際博物館会議)の職業倫理規定

 「いかななる物件であれ,購入・寄贈・遺贈・交換により博物館が正当な法的所有権を得,その原産地内で又は原産地から,或いは法的な所有権が存した中間国から,その国の法律に違反しないで取得することを管理者母体又は責任者が確信しないならば,資料の取得は行われるべきでない.」

(4) 原産国の法律

中華人民共和国文物保護法,オーストラリアの文化材保護法と国立公園と野生生物の規制,カナダの文化的財産の輸出入に関する法律など原産国の法律に留意する必要がある.




4. 寄託・寄贈標本についての標本受入と登録

 静岡県自然学習資料センターでは,個人などから寄贈を受けた散逸の危惧のある自然関係の標本を,NPO静岡県自然史博物館ネットワークが静岡県から委託を受け,標本受入の整理から登録,保管までの作業を行っている.静岡県自然学習資料センターで行われている寄贈標本の受入から登録までの作業手順の概要を示す.

(1) 受入台帳を作成する.これには,受入れるコレクションの名前,寄附者氏名,資料標本の内容に関する大分類,受入日付などを記入する.このとき,受入順にID番号を与える.

(2) 受入れた標本箱ごとに番号をふる.その番号は標本箱などの外に貼付する.

(3) 標本箱の中の各標本にすべて受入番号を割り振り,受入標本の実数を求める.受入番号は,コレクションID-標本箱番号-個別番号,という形でふる.たとえば,コレクションIDが3で,収納ケースが25番で,その中の2番目の標本であれば,3-25-2という番号になる.

(4) 受入番号はすでにラベルがあればそれに書き込む.ラベルがついていない場合は,仮のラベルを付ける.昆虫などで,ラベルがつけられない場合,標本箱ごとに写真をとり,個別の標本の番号による識別ができるようにする.

(5) 標本箱の外から確認できる位置に,収納されている標本の受入番号の範囲がわかるラベルなど貼付する.

(6) 受入をする各標本の受入細目として,受入番号,標本の内容(大分類ないし中分類,標本名,和名,学名,採集地,採集日時,採集者,標本の状態など),評価などを標本登録整理カードに記入する.

(7) 標本受入整理カードに書き込んだ項目をExcelで受入リストに入力する.Excelのリストを受入細目データベースへ変換して入力する.

(8) 仮評価のための標本の内容に関するリストと評価を書類として県に提出する.

(9) 県は仮評価を受けて,評価委員会を開催し,公式受入の判断をして,公式受入の手続きを行う.

(10) 受入細目データベースのデータから登録標本を指定して,分類コードとともに自動的に登録番号(SPMN no.)を順次割振り,標本データを登録データベースに追加する.

(11) 登録番号(SPMN no.)のついた登録標本ラベルを新たに出力し,登録する標本に添付する.

(12) 標本受入整理カードに登録番号(SPMN no.)を追記する.なお,新たに標本登録カードおよび標本登録リストを出力することもできる.




5. 分類と学名

 標本を整理する段階で,標本が何であるか,すなわち標本を分類して種または種類を同定しなければならない.生物標本の場合,通常種レベルまで同定するが,分類学的に難しい分類群を含んでいる場合には時間がかかるため属・科レベルまたはより上位のレベルでもかまわない.ここでは,(1) 分類の階層と,(2) 学名の命名,(3) 模式標本,(4) 博物館における標本の分類区分について述べる.

(1) 分類と分類の階層

  分類(Classification)は人為的なもので,研究者によって分類体系が異なれば,同一物であっても異なって分類され,異名(シノニム Synonym)をもつ場合がある.生物の大分類については,五界説(モネラ界,菌界,原生生物界,植物界,動物界)が用いられる場合が多い.

  固有の性質・特徴によって区別される生物分類上の一群を生物分類単位(Taxon)という.タクサ(Taxa)は複数形である.各タクサは生物命名法にもとづいた固有名をもつ.

  分類単位の階層は,界(Kingdom)→門(Phylum)→綱(Class)→目(Order)→科(Family)→属(Genus)→種(Species)となる.

(2) 学名(Scientific name)の命名規約

 タクソンのラテン語またはラテン語化した名称で,動物の学名は二名法の原則にしたがって左から右に,属名→種名→命名者の順につけられる.属名と種名はイタリックで書き,属名の頭文字は大文字.亜属名は( )に入れて属名のあとにつける.属の変更があった場合,原著者名を( )に入れる.イタリックにできなかった場合はその文字の下に線を引く.

 新種名は,模式標本が設定され命名される.ひとつのタクソンに適用した二つ以上の名称をそれぞれ同物異名(Synonym)と呼ぶ.同物異名は,最初に命名された名称がその優先権をもつ.異物同名はホモニム(Homonym)と呼ばれる.

 なお,学名の後や中に用いられる次のような略語がある.n. sp. nov. sp. : 新種,aff.: 類似, var.: 変種,s.s.またはs. str.(sense stricto 厳密な意味の)など.

 植物の学名では,命名変更者がいる場合,命名者の後に変更者名をつける.また,その年号を付す場合もある.

(3) 模式標本

 新種を同定した場合,同定の基となった標本を模式標本(Type specimen)と呼び,安全に保存され,研究に活用できる博物館または研究機関に供託される.模式標本には以下のものがある.

  完模式(Holotype, the type):同定の基となったひとつの標本
  総模式(Syntype, type):同定の基となった特定のひとつの標本をもたないで,すべて標本の場合
  副模式(Paratype):完模式以外に模式系列の他の標本に副模式を指定できる.
  後模式(Lectotype):ある種が完模式をもたない場合に総模式のひとつを後から後模式として指定できる.
  副後模式(Paralectotype):後模式以外の総模式を副後模式として指定できる.
  新模式(Neotype):完模式などが消失した場合,特別な承認要件のもとに他の標本を新模式として指定できる.

(4) 博物館における標本の分類区分

  博物館では,学芸員の専門分野により,取り扱う標本が限られる.そのため,生物全体の分類体系で標本を整理すると,収蔵されているタクサとまったく標本として存在しないタクサというように,偏りが生じて効果的な標本の収蔵整理ができなくなる.したがって,各博物館では,学芸員の専門によって生物分類とは別のそれぞれの収蔵のための標本分類区分が行われることが多い.

  例えば,魚類は魚上綱(Pisciformes)なので,その頭文字をつけて"P"として分類記号とする博物館が多いが,原生生物(Protista)も"P"で始まり,原生生物を専門とする学芸員がいる場合,同じ頭文字がいくつかのタクサで重なり,その文字の取り合いとなる.

  ここでは,静岡県自然学習資料センターでの分類項目を示す.これは,登録整理される標本と資料を想定して大分類したもので,各専門分野に対応して以下のようにaから順に文字を割り当ててある.

  a:種子植物,b:シダ植物,c:コケ植物,d:藻類,e:菌類,f:地衣類・その他(植物),g:脊椎動物(魚類を除く),h:魚類,i:節足動物(昆虫類を除く),j:昆虫類,k:軟体動物,l:その他の無脊椎動物,m:その他(動物),n:原生生物(藻類を除く),o: モネラ界の生物,p:岩石・堆積物,q: 鉱物,r:大型化石,s:微化石,t:その他(地学),u:教育標本,v:その他(標本),w:出版物(図書・論文など),x:資料,y:画像,z:その他



6. 標本カード記入項目

 標本カードに記入する項目は,各分類群で異なるが,おおむね以下のようになる.ここでは,静岡県自然学習資料センターでの記入項目とGBIF(地球規模生物多様性情報機構データベース日本版)における記入項目を示すが,静岡県自然学習資料センターの記入項目についてはGBIFのそれに対応させるように現在変更している.

(1) 静岡県自然学習資料センターでの記入項目

 標本番号,受入番号,オリジナル番号,コレクション名,点数,大分類,分類,標本名,学名,和名,(動物:雌雄),採集地,メッシュ番号,地図名,緯度・経度,高度・深度(  〜  ),採集場所詳細(地質:層準・岩体,地質時代など),産地メモ,標本の大きさ,形状,採集年月日,採集者,同定年月日,同定者,収納場所,その他・特記事項,作成者,更新者,参考文献など

(2) GBIF(地球規模生物多様性情報機構データベース日本版)における記入項目

 管理番号,分類,登録日時,更新日時,登録者,更新者,ステータス,出庫フラグ,博物館名,機関略号,標本コード,標本番号,グローバルユニーク番号,タイプ標本,データ種別,

 学名,一般名,界名,界名(日本語),門名,門名(日本語),綱名,綱名(日本語),目名,目名(日本語),科名,科名(日本語),属名,属名(日本語),種小名,種小名(日本語),亜種以下のランク,亜種以下のタクソン,学名の命名者,

 採集者,採集者(日本語),採集者コード,採集年月日(始め),採集年月日(終わり),採集場所:大陸名,採集場所:海洋・淡水域,採集場所:島群名,採集場所:国,採集場所:国(日本語),採集場所:都道府県,採集場所:都道府県(日本語),採集場所:市区町村,採集場所:市区町村(日本語),採集場所:詳細,採集場所:詳細(日本語),採集地緯度,採集地経度,採集地最低海抜,採集地最高海抜,採集地最浅水深,採集地最深水深,採集地公開レベル,メッシュコード,性別,生活型・世代型,備考1,備考2(非公開),備考3(非公開),DBURL,標本公開フラグ,GBIF公開フラグ

注) 標本公開フラッグは,絶滅危惧種などで標本の内容や採集地が公開されることにより,被害が想定される場合があるため,非公開と公開を区別するためである.




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最終更新日: 2010/09/30

Copyright(C) Masahiro Shiba