日本の自然科学系博物館
の歴史とその役割



柴 正博

教育出版株式会社の小学校理科教科通信「こぱ」
2002年12月号の「ゴーゴーはくぶつかん」のために書いた原稿です。

この文章はぼしゅうちゅう 86・87号 (1992年2月・3月)に掲載した
「日本の博物館の歴史(1)」をサイトに出していたところ、それを見た
教育出版の方から依頼を受けて、2002年10月にきちんと書きなおしたものです。


 日本で、自然科学系(自然史系と理工系)の博物館がつくられたのは、現在の国立科学博物館の前身である「東京教育博物館」でした。戦前にはこの種の博物館が日本にはほとんどなかったことから、国立科学博物館の歴史がそのまま、日本における自然科学系博物館の歴史を代表するものといえます。

 日本ではじめてできた、この「東京教育博物館」の展示内容は、机や黒板など学校教育に必要な品物や実験道具、さらに標本などでした。実は、この教育博物館の目的は、学校というところがどのようなところかということを教える(普及する)ための展示場だったようです。この博物館では、地方の学校からの依頼で、学校教育に必要な教材や標本の作成も行っていたそうです。

 このような博物館だったので、学校の整備がすすみ、学校教育が普及すると、その役割を終えました。そして、明治23年文部省直轄から、東京師範学校の付属となり、事実上の活動を終えました。

 明治末期から大正初期になると、いわゆる社会教育(当時は通俗教育)や科学教育の重要性が高まりました。このひとつの原因に、伝染病の流行がありました。防疫のための正しい生活知識を庶民に普及することが、博物館の大きな役割となりました。

 「東京教育博物館」は「東京科学博物館」と名前をかえて、大正3年に文部省普通学務局に移管され、大正6年に現在の上野に移築されました。なにはともあれ博物館は再生し、率先して一般市民に科学の啓蒙をする機関として設立されました。しかし、そのころの社会情勢は悪化して、その翌年には満州事変が起こりました。

 昭和15年に、東京帝国大学地質学教室の坪井誠太郎教授が,学者としては初めてこの博物館の館長になりました。坪井館長は、これまでのこの博物館に研究部門が欠けていたことを指摘し、博物館の中に調査・研究活動を仕事を加えました。しかし、翌年に日本は開戦し、博物館の建物は軍に徴用され、高射砲隊が駐屯しました。戦争が終わったころには多くの標本が散逸しなくなってしまい、戦火から逃れたものは標本の一部分と鉄筋の建物だけだったというありさまでした。

 戦後、アメリカの占領軍(GHQ)が、日本の教育制度を改革しました。その時のアメリカの調査では、「日本には博物館がほとんどなく、あっても財政的に貧弱で、なにも行っていない。」という報告をしました。

 戦後の経済発展や科学技術の発展にともない、「東京科学博物館」は「国立科学博物館」として三度再生を果たし、活発に博物館活動が行われました。昭和40年までに新らたな建物として、2号館と3号館がおもに理工系の展示館として建設されました。

 昭和33年に、日本学術会議が「自然史センターの開設の要望書」を政府に提出しました。これは、動植物の分類学の重要性と、大学における標本の収集・保管には限界があることから、「自然史センター」を政府に設立するべきとの提案をしたものでした。学術会議の要望書では、自然史センターと国立科学博物館とは別のものとしましたが、政府は新宿にあった資源研究所の敷地に新らたに国立科学博物館の分館をつくり、国立科学博物館に自然史センターの役割をあたえました。

 ここで、国立科学博物館ははじめて自然史の研究を行い、その成果を展示、普及する機関となりました。しかしその一方で、学術会議の提案した自然史センターは、その後も日本には設立されることがありませんでした。

 日本では最近、各地に自然科学系博物館がたくさんできてきました。しかし、その設立の目的や役割についてはさまざまで、どちらかというと博物館の核となる研究や標本収蔵を重視しない、展示を主体とする博物館や教育を主体とする博物館が多くみられます。国立科学博物館の歴史をみても最初は展示や教育から出発したことからも、コレクションから出発した欧米の自然科学系博物館と日本のそれとは基本的に出発からその目的がちがうことに気づきます。国立科学博物館の歴代の館長の多くが、研究者でないということもそれを反映している現象で、欧米の博物館では考えられないことだろうと思います。

 本来の博物館とは、研究・収集・保管・普及といういくつかの機関が一体化した複合体と私は考えています。地域のとくに自然史系博物館においては、その地域の「自然史センター」として、地域の自然の状態をモニターすることや地域の自然史研究のセンターとしての役割を担う必要があります。また、科学や科学思想の普及という点だけを見ても、実際の研究や研究者、研究対象物が一般の人と接し交わるところが自然科学系の博物館であるべきだと思います。

 最近できた、とくに科学館(理工系博物館)は、楽しめる博物館といったイメージでつくられています。わかりやすいという点ではよいと思いますが、研究・収集・保管の機能のない教育展示機能だけの場合は、つねに借り物やつくり物で普及することになり、博物館としての機能を十分にはたせないことになります。

 日本の自然科学系の博物館の歴史は浅く、学校の教師の方でも、博物館とは何か、または博物館の目的や活動についてあまり理解されていないのではないでしょうか。博物館で働く私たちが、一般の人たちに博物館とその目的や活動を理解してもらうためには、展示物(博物館のおもて:施設としての博物館)を見せているだけではだめで、むしろ博物館のしくみや博物館の仕事、収蔵庫の中の標本、博物館で働く人たち(博物館のうら:機関としての博物館)を知ってもらい、博物館活動自体を体験してもらうべきだと考えています。

 そのためには、博物館を地域の教師の研修の場としての利用や、地域の自然史研究のセンターとして役割の強化、児童・生徒および一般の方が博物館活動(研究・収集・保管・普及)へ参加できる体制をつくる必要があることを強く感じています。



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最終更新日: 2004/01/12

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