駿河湾団研のこれまでの活動と成果
海の子の詩によせて

最終更新日:2007年5月19日

柴 正博@駿河湾団研

海の子の詩によせて
−駿河湾団研のこれまでの活動と成果−


地学教育と科学運動 52号(2006年7月) 47-53

はじめに

 1974年にはじまった駿河湾団体研究グループ(駿河湾団研)もすでに30年目を迎え,団研調査は2005年11月で127回を数えました.これまでに駿河湾団研に参加者数は385名,全調査ル−ト数は1991におよびます.ここでは,30年を迎えた駿河湾団研の活動をふりかえってみたいと思います.
 駿河湾団研は,地団研静岡支部が東京支部東海大班だった1973年に,班の創造活動の中心として新たな団研を組織することが提案されて発足しました.団研の設立には,班内に創造活動小委員会が設けられ,掛川地域と浜石岳地域が候補として検討されました.その結果,さまざまな岩石や地層が分布し,地質構造も複雑な浜石岳地域に決定されました.
 第1回目の団研調査は1974年4月に由比の入山青年会館で行われ,将来は南側に広がる駿河湾全体にまで足をのばし,フォッサマグナや駿河湾の成因まで追求しようという雄大な構想のもとに『駿河湾団研』という名前が決定されました.
 現在までの駿河湾団研の活動は,その調査地域やテーマと調査体制によって,1974年〜1989年までのおもに庵原・清水地域の富士川層群相当層調査時期の第T期と,1990年〜現在までのおもに御前崎・掛川地域の相良・掛川・小笠層群の調査時期の第U期に大きく2つに区分できます.両地域とも研究対象はおもに堆積層からなる新第三系です.調査範囲を第1図に,第1表には127回までの団研調査の日程と調査地域,宿舎,参加者数,調査ルート数などについて示します.また,各期を調査地域と調査対象で細分し,その期間(回),それぞれの調査地域と調査対象の層群,ルート数,発表論文を第2表に示します.年ごとの調査ルート数の変化と発表論文の数,および活動の盛衰で期間を区分した活動期を第2図に示します.

富士川谷の砂礫にもまれて
(第T期)

 第T期は15年間あり,その全調査ルート数は1385(年平均92.3)と第U期の全調査ルート数607(年平均40.5)と比べても2倍以上の調査ルート数があります.また,この時期は調査の成果を調査地域ごと着実に論文にまとめています.この時期の初期(活動期A:1974年〜1979年)には,おもに東海大学の学生や大学院生が団研調査に多数参加し,静岡支部の教師会員や他大学の学生も含め,1回の団研調査に20〜30名の参加者がありました.また,調査ルート数も20〜40あり,夜の報告会は毎晩夜遅くまでつづきました.またその頃,調査範囲が隣接していた富士川団研とも交流が盛んで,相互に参加しあいながら調査の方法や層序構造について議論をして,団研内で学生同士が切磋琢磨していました.
 1980年には,活動期Aに団研活動の中心だった学生や大学院生がほとんど卒業し,また団研のリーダーだった安間 恵氏が東海大学から他に移られたこともあり,1980年〜1982年(活動期B)には参加人数や調査ルート数が減少しました.しかし,1983年から団研の再組織化がはかられ,活動が活発な2度目の時期(活動期C:1983年〜1988年)を迎えます.活動期Cでは1回の団研調査の参加人数が活動期Aほど多くなかったものの,調査目的をより明確にして,参加人数が少ない分年間の調査回数を5〜6回と倍に増やしました.そして,調査地域ごとに団研調査と並行して層序や化石をテーマにした卒業研究を行い,調査結果を論文にまとめる作業を着実に進めました.
 第T期のおもな調査範囲は,結果的に富士川下流域から静岡平野にかけての富士川谷南部地域におよぶ富士川層群相当層の分布地域になりました.この地域のほぼ全域の調査結果から,この地域に分布する庵原層群,浜石岳層群,静岡層群などの層序や地質構造が解明でき,次のような結論を得ることができました.
 この地域には,西ほど古い時代の地層が断層で接し分布していて,中新世中期からはじまる本州脊梁や関東山地の隆起にともない,浸食された山地から運ばれた砂礫が富士川谷に流れ込み、相対的に低い盆地を順に埋積したと考えられます.また,関東山地や丹沢山地,西側の赤石山地などの隆起にともない,富士川谷の地殻表層が北東-南西方向と南北方向の断裂により一辺が数km〜10kmのブロックに分かれ,そのそれぞれのブロックが相対的に異なった隆起量をもって隆起したため,その上位を被覆した地層がその堆積時に褶曲して現在みられる複雑な地質構造が形成されたと考えられます.
 このような第T期の研究成果のまとめは,各地域の個別の論文発表後に,調査地域全域のカラー地質図と地質構造の形成過程や地史の解釈も加えて,柴が地団研専報40号(12)として出版しました.

掛川地域の海面を求めて
(第U期)

 第U期の期間は1990年から現在までで,これももうすでに第T期と同じ15年になりました.第U期の調査対象は,駿河湾西岸の御前崎から掛川地域に分布する新第三系と第四系で,特にそれらの層序や層序関係,およびそれらの地層の堆積過程がテーマになりました.第U期では学生の団研調査への参加が減少し,年間の団研参加者数や調査ルート数が第T期の半分以下となりました.しかし,1992年〜1998年まで活動期Eでは参加者の増減はありますが,年間の調査ルート数を50〜70とある程度確保していました.
 第U期は,第T期のように数人の学生が中心となった事務局が団研を運営する組織的な団研運営ができなくなっていました.たとえば,団研の調査報告書である『海の子の詩』(第3図)が団研調査終了後に毎回発行されなくなり,また定例の団研会議やルートマップのコンバイルなど,調査と調査後の基本作業さえ事欠くこともしばしばありました.そのため,団研の実施や運営にあたっては学生の卒業研究を団研の核に据え,卒研生が団研のリーダーとなり,団研調査や調査資料のまとめなどを行っていくようになりました.幸いにして,団研調査地域を卒業研究のテーマにする学生が毎年いて,団研での調査を継続的に行いことができました.
 第U期の調査のおもな目的は,相良層群と掛川層群の関係がどのようなものかということと,掛川層群の地層がどのように堆積したかということでした.その他に第U期の後半では牧ノ原台地や小笠山に分布する第四系の層序や堆積機構もテーマとなりました.
相良層群と掛川層群の関係ですが,当初岩相図を作成して両層の関係や地層の区分を行っていましたが.岩相だけでは地層の層序や累積様式を明らかにすることが難しく,団研調査と並行して微化石や火山灰の分析も並行して卒業研究で行いました.その結果,相良層群と掛川層群を区別することができ,両層群はシーケンス境界で接することが明らかになりました.また,掛川層群に挾在する火山灰層に注目して掛川層群から多数の火山灰層を発見し,それを連続させて地層の累積様式を明らかにしました.
その結果,掛川層群は2つの第3オーダーのシーケンスから形成されていることが明らかになり,掛川層群を下部層と上部層に区分しました.また,火山灰層の連続や上下関係から明らかになった地層の累積様式から,海水準の相対的変動にともなう各堆積体を区分しました.
 第U期の調査では,おもに掛川層群での成果に見られるように,地層形成と海水準の関係についての大きな知見を得ることができました.この成果のいくつかについては,学会発表や「日本の地質増補版」(13)などで概要について公表していますが,詳細についての記載や討論の多くがまだ論文として公表できていません.

駿河湾の成因をテーマに
(現状と今後に)

 第U期後半の活動期F(1999年〜現在)では,第2図でも明らかなように駿河湾団研の調査ルート数がほとんどの年で20以下とそれ以前に比べ急激に落ち込んでいます.この期間には,団研調査といっても卒業研究の学生以外学生の参加がとても少なく,そのため先輩から後輩へこれまで団研調査を通して伝えてきた野外地質調査の方法や地層の見方などフィールドワーカーの養成がほとんどできない状況が続いています.団研調査も参加人数がとても少ないことから,単なる卒業研究の泊まりがけ調査または巡検になったり,調査効率の点などから日帰り調査になったりと,本来の団研調査が成立していない場合もあります.
 1998年までの活動期Eまでは,卒業研究で野外調査をする学生は,遅くとも3年生の後半には団研調査などで何度かの調査体験をしてフィールドに臨みました.しかし,それ以後のここ数年,野外地質調査に興味を持ちなんらかの経験をつんだ学生が少なく,卒業研究で地質図作成など基本的な野外調査でさえできない場合が増えています.また,私自身も以前ほど団研調査や団研の組織化に時間をさくことができなくなりました.その意味で,第2図は大学での学生の地質調査についての能力開発のおかれている状況の推移や現状を表すとともに,私自身の地質調査へ向かうエネルギーを示すパラメーターかもしれないと,反省も含め感じています.
 駿河湾団研は,もともと学生が中心となってはじまり,多くの学生が主体的に運営し発展してきた団体研究グループです.しかし,現在のように学生がほとんどいない状況では学生たちが中心となって活動していた駿河湾団研はすでに消滅しているのかもしれません.
現在の駿河湾団研の目的は,これまでの第U期で得られた成果をきちんと論文化することと,できるだけ学生の参加を増やし,学生の野外地質調査実習の場を確保し,できれば学生が運営する団研を復活させることです.団研で学生が育てば,彼らはさらに後輩も育てられるし,団研自体の運営も担っていけるはずです.駿河湾団研に集う学生がいる限り,ほそぼそですが駿河湾団研は継続していくでしょう.
駿河湾団研の第V期には,できれば団研の名前にもなった「駿河湾の成因」をテーマにして,学生たちが自主的に団体研究をしていくことを願って,今後も私自身活動を続けていきたいと考えています.

引用文献

(1) 駿河湾団体研究グループ(1982)静岡県庵原地域の地質層序と地質構造.地団研専報,24,157-167.
(2) 駿河湾団体研究グループ(1981)静岡県浜石岳地域の地質層序と地質構造.地球科学,v.35,145-158.
(3) 柴 正博・駿河湾団体研究グループ(1986)静岡県清水市北部,興津川流域の地質.地球科学,v.40,147-165.
(4) 柴 正博・大久保正寿・笠原 茂・山本玄珠・小林 滋・駿河湾団体研究グループ(1990)静岡県富士川下流域の更新統,庵原層群の層序と構造.地球科学,v.44,205-223.
(5) 柴 正博・鈴木好一・駿河湾団体研究グループ(1989)静岡層群の層序と構造.地球科学,v.43,140-156.
(6) 柴 正博・根元謙次・駿河湾団体研究グループ・有度丘陵沖調査グループ(1990)駿河湾西部,有度丘陵および沖合の地質構造.東海大学紀要海洋学部,30,47−65.
(7) 角田史雄・柴 正博・鈴木好一(1990)南部フォッサマグナ地域の浅層地殻の変形過程,−特に,新生末における富士川谷の非対称背斜の形成過程− 地質学論集,34,171-186.
(8) 柴 正博・阿部勇治・福田美和・横山謙二・堀内伸太郎・石川裕一・矢部英生・井上雅博・駿河湾団体研究グループ(1992)静岡県富士宮市沼久保の富士川河床に分布する礫シルト層(更新統)の層相と化石について.自然環境科学研究,5,21-32.
(9) 柴 正博・十河寿寛・川辺匡功・竹島 寛・村上 靖・横山謙二・駿河湾団体研究グループ(1996)静岡県榛原郡地域の相良層群と掛川層群の層序.地球科学,v.50,441-455.
(10) 柴 正博・惣塚潤一・山田 剛・東元正志・菊地正行・小坂武弘(1997)静岡県榛原郡地域の相良層群と掛川層群の浮遊性有孔虫生層序.地球科学,v.51,263-278.
(11) 柴 正博・渡辺恭太郎・横山謙ニ・佐々木昭仁・有働文雄・尾形千里(2000)掛川層群上部層の火山灰層.海・人・自然,東海大学博物館研究報告,2,53-108.
(12) 柴 正博(1991)南部フォッサマグナ地域南西部の地質構造−静岡県清水市および庵原郡地域の地質−.地団研専報,40,98p.
(13) 柴 正博(2005)静岡,掛川地域の新第三系・下部更新統.日本の地質増補版,132-136,共立出版.


駿河湾団研へ

『ホーム』へ戻る