恐竜のたまご 

アウグウラン・ツァフ
 トールさんも準備ができたので、彼を車に乗せて、私たちは赤い山にむかった。丘を登りきると、視界が開け、そこには赤い山肌が迫っていた。赤い斜面を登り、ひとつの尾根の上に出る。北側には赤い山並みが幾重にも連なっている。

 西に進み、斜面を下り、小さな川の跡を越えて、次の尾根を目指す。北側に水平な地層が重なっているのが見え、その斜面を駆け上がる。案内者なしでは、こんな冒険はできない。

 車は谷の奥で止まった。私たちは車から降りて、トーラさんのあとについて近くの尾根に登った。尾根に登る途中に地面の上に恐竜のたまごの化石がいくつもあった。たまごの化石は直径15センチほどの球形をしていて、竜盤類のたまごと思われる。殻はきれいに残っているものの、中はすでに砂で埋まっている。

 その近くでは、足の踏み場がないほどたまごの化石が地面に密集しているところがあった。私たちは、たまごの化石を壊さないように近づいて、表面をきれいに出して観察をした。

恐竜のたまご化石 赤い砂岩の地層はほぼ水平に重なっているものの、ひとつひとつ見ると、少し斜めに傾いて重なっている。この粗い砂の少し傾いた地層は、川の扇状地などに強い水の流れで土砂が埋まる時にできるたもので、その中にたまごの化石が集まっていることは、たまごが小石や砂とともに水流に流されて集められたのだろう。

 しかし、たまごは砂や小石とともに流されてなぜ、割れなかったのだろうか。そして、たまごの化石だけがこのように密集するのは、どうしてなのだろうか。

 そのまま、尾根に上がってみた。この山の高さは平原から200メートル以上はあり、その高さの地層断面がどこでもすべて観察できる。山頂からは山地の全体やまわりの平原、さらに遠くの山々が遠望できる。なんと広いことか。赤い岩肌の山地が草原の中に広大に露出している。

 この山地は、幅20キロで長さが60キロはあり、私たちはその西の端にいる。前年に来たときには、この山地のほぼ中央で、一番高いところに行ったが、今年はトーラさんが秘密にしていた化石のありかを案内してくれると言う。

 しばらく雄大な風景に見とれていたが、恐竜化石を見つけに北側の谷を下りはじめた。太陽の日差しがめちゃくちゃ強く、風もなく暑い。しかし乾燥しているので、日本のようにジメッと汗ばむ暑さではない。

壊された化石 トールさんが、昨年発見した最大の恐竜の骨があるところに案内してくれると言う。尾根をいくつか越え、斜面を降りていくと、ある範囲に骨の化石が散乱しているところがあった。よく見ると、幅が二メートルはあったと思われる竜盤類の腰骨の化石らしく、残念ながら破壊されていて、半分以上形をとどめていなかった。

 トールさんの話だと、彼が発見したときには完全な形だったが、おそらく恐竜の骨を竜骨(漢方薬)として採集している人たちの仕業だろうと言う。中国人が竜骨を高く買うので、無差別に化石が壊されることがあるという。彼は今年5つの骨の化石を発見したが、そのうち3つは盗掘にあい、壊されたという。そこで、最近では化石を発見しても、わざと土をかけて隠しておくという。

 ほかにも大きな骨があると言って、別の場所に連れていってくれた。なんの目印もない赤い砂岩の山で、よく場所がわかるものだと感心する。この山やその周辺の平原はすべて彼らのテリトリーで、彼らは家畜を探すためにこの山によく登り、その時化石も発見するらしい。

 遊牧民とはいっても、彼らはそれぞれ彼らのテリトリーをもっている。夏はよりよい草を求めてテリトリーの中で放牧地を転々とかえるが、冬の居住地はほぼ固定しているらしい。厳しい冬がくるまでに彼らは、家畜を十分に太らせることと同時に、燃料となる乾燥糞を十分に備蓄しなければならないのである。ちなみに、トールさんたちのゲルは前年と同じ場所にあった。

 隠されていた化石は竜脚類の大腿骨と思われた。彼は骨の一部を私たちに見せると、また砂をかけてそれを隠した。この地層からは、大型の竜脚類やたまごの化石が多数産出することがわかった。彼らの協力のもとで、大規模な発掘ができればと、私は思った。

 トールさんは、恐竜の骨を発掘する方法や、その保存方法を知りたいと言った。私は石膏を使って取り出す方法や、化石のプレパレーションの方法を説明したが、理解されたかどうか自信がない。一度見せた方が早いかもしれない。今度来るときには、石膏や材木などの資材や道具を持ってこようと思った。
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