旅行の計画 

ザイサン・トルゴイから見たウランバートル 自然博物館をひととおり見て、私たちはウランバートルの南の丘にある戦勝記念碑ザイサン・トルゴイに向かった。先カンブリア代の緑色片岩からなるこの丘からは、トーラ川を隔ててウランバートル市内が一望できる。

 この記念碑は第二次世界大戦にモンゴルに侵攻した日本軍に対してソビエト・モンゴル連合軍が勝利したことを記念したものであり、塔のまわりのモザイク壁画にはソ連とモンゴル軍が大日本帝国とナチスの旗を踏み折っている姿が描かれている。モンゴルと日本軍の戦いはノモンハン(ハルハ河戦争)で繰り広げられた。数年前にその地で、モンゴル・ソビエト・日本による記念式典が行われたことは、記憶に新しい。

 私たちは、ザイサン・トルゴイの丘の下を流れるトーラ川で水遊びをして少し遊んだ。近くには魚釣りをする人もいた。その後、町の中心にあるスフバートル広場に行って、スフバートル像の前でお決まりの記念撮影をした。この広場のまわりには国会議事堂や科学アカデミーなどの建物があり、さしずめ東京の霞ヶ関といったところである。

 その後、私は他の三人と別れトゥメンバイヤーの家に行って、今回の旅行の詳しい計画を立てることにした。

 トゥメンバイヤーの家に行くと、モンゴル工科大学の古生物学のミンジン教授が来ていた。ミンジンは、がっしりした体に似合わないか細い優しそうな声で、なれない英語で再会の挨拶をしてくれた。彼の専門は古生代(約6億年から2億5000万年前)のサンゴ化石であるが、モンゴル全体の地層や化石のデータを多く持っていて、前年の調査のときには私たちに調査の場所についてのデータをいろいろと教えてくれた。

 今回は、前年とはちがい、日程も短く、明日(16日)の朝から21日の夜までの6日間にあいだに南ゴビに行って、恐竜化石の産地をまわり、ウランバートルまで帰ってこなくてはならない。私たちは、地図を広げて訪れる場所の検討とそのスケジュールを決めていった。

 その計画によれば、南ゴビまではいくつかの地質や鉱床見学をしながら2日のうちに南ゴビに行き、ゴビの友人のゲルに泊まりながらアウグ・ウラン・ツァフやバヤンザクの炎の崖、できればツグリキンシレで地層の見学や恐竜化石の探査をして、ウランバートルに帰ってくるというものだった。この計画はいささか強行軍だが、私はこの旅行をやってみることにより、今後のゴビでの私自身が調査する日程編成の参考にしたいと考えていた。

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