太平洋の科学
NHKブックス 96


星野通平
NHKブックス 96 1969年

cover of this book エベレストにはじめて登った探検家は、「山がそこにあるから」と、登山の動機をかたったという。しかし、科学者にとっては、山がそこにあるから登る、というわけにはいかない.どうして、山がそこにあるのか、と問うのが科学者の立場であり、この山は、将来どうなるのであろうか、と思案するのが科学者である。

 自然科学者にとっては、自然の成りたちをときあかす法則と理論の発見こそ、最終の目的とするところである。そして、自然科学の諸法則は、その成りたちの根拠からいっても、発見の道すじからいっても、歴史的なものである。

 私は、本書の執筆にあたって、このような見方を柱にすえたいと思った。もちろん、この意図が達成されていないことは、ご覧のとおりである。ただ、志すところはそういうことであったことをのべておきたい.

 最近、海洋開発の声が、巷間にかまびすしく、行政に産業に、いろいろな動きがある。しかし、海洋教育についていうと、なに一つ改善のしるしがみられない。アメリカが、宇宙開発においてソ連におくれをとったとき、まず手をうったのは理数教育の改善であった。また、最近の海洋ブームにおいても、まず高校の海洋教育が検討されている。

 わが国の海洋教育の実情をみると、一般教育でいうと、高校の地学のなかに、海水の運動がとりあげらんれている。しかし、高校の先生がたにきいてみると、よい地学の教科書といわれるためには、「海洋」の章は、なるべく短く、かんたんなことが必要であるという。大部分の教師と生徒にとっては、海のあれこれは、まったく体験のない絵空事にすぎないからである。将来の海洋開発を実りゆたかなものにするために、その土台となる自然の諸法則を解明し普及するための努力は、もっともっと強調されなければならない。

 さて、自然科学のあらゆる分野に関連をもつ海洋学の体系は、いまのところ、まったく碓立していない。そのために、海洋学を構成する各分野の専門家は、それぞれの分野のエキスパートではあっても、海洋学についての認識は、かならずしも十分でない人がおおいように思われる。もし、このようなことで万事ことたりるなら、海洋の二字をとった、それぞれの分野の学者だけがいればよい、ということになる。

 海洋学とはなんであろうか。私ひとりの考えをいえば、それは、海水にまつわる諸法則を研究する、自然科学の一分野である。そして、海水にまつわる諸法則の紬となるものは、海水の進化に関するものであろうと考えている。

 海水の進化の内容の二、三をあげれば、海流の歴史、海面の変化、海水の性質のうつりかわりなどがある。このような内容は、いずれもすでに現実の研究テーマになっていて、たとえば、いま世界中の学界の注目をあびている深海ボーリングの目的の一つは、ボーリング試料によって、太平洋の古海流を明らかにしようというものである。

 しかし、ただいまのところでは、海洋学の体系化はまったくおくれていて、最近出版される海洋学のすぐれた教科書は、各分野の専門家が、それぞれの原稿をもちよってつくられている。このような現状を無視して、海洋学の普及書を、たった一人で書きあげるということは、大それたこころみといわなければならない。この点からいっても、ひじょうにたよりない本書であるが、海洋学の普及に、多少なりと投立つことができれば幸である。

 本書が世にでる契機となったのは、1968年の夏、NHKラジオでおこなった、「海洋は未来を拓く」という放送であった。この放送の担当のNHK教養部の石原元典さんが橋わたしをされて、出版協会の益子喜芳・斎藤良通さんから、太平洋を中心とした海洋学の普及書の執筆の依頼をうけたのは、今年の一月下旬のことであった。その後、あれこれの雑事におわれていたが、約束した手前もあって、とり急いでまとめたのが本書である。

 本書の執筆にあたっては、赤木三郎・井尻正二・宇留野勝敏・小野寺信吾・小林忠夫・小森長生・斎藤良通・柴田松太郎・新掘友行・田畑喜六・新沼昭洋・長谷川康雄・藤田至則∴益子喜芳の皆さんに、その横成について、いろいろとご意見をいただいた。

 また、井尻正二・佐藤孫七・淵秀隆・堀部純男の皆さんには、それぞれ草稿の一部をよんでいただき、貴重なご注意をいただいた。加藤敏桎・倉品昭二・猿渡了己・武田硲幸・佐藤武・辻勇雄・松本勝利の皆さんには写真を提供していただいた。そして、海洋資源教室の学生諸君にも、あれこれと大へんお世話になった。以上の方がたに、厚くお礼申上げる次第である。

1969年8月 異境で逝った母の命日に、北海の旅宿で

                    星野通平

    (本書の「あとがき」より)

2001/09/02

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