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 本の紹介 

最終更新日:2022/06/04

2022年6月4日
物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国
黒川祐次 著
中公新書 860円+税

2022年2月24日にはじまったロシアのウクライナ侵攻、なぜロシアはウクライナに侵攻したのか。ウクライナとはどういう国か、ウクライナとロシアとはそもそもどのような関係なのかということに興味をもちました。幸い、書店でこの本を見かけたので、読んでみました。ウクライナの歴史をたどると、その地の民族と国家の歴史は単純でなく、ウクライナとロシア、ポーランド、トルコなど近隣諸国との関係も複雑なこと、そしてウクライナの人たちがなぜロシアの侵略に対して身を挺して勇ましく戦っているかが理解できました。

東ローマ帝国崩壊後の中世のヨーロッパで,ウクライナの地にはキエフ・ルーシ公国という大国があり,13世紀にはモンゴルによりキエフが占領され解体され,その後、公国の南西部にあったハーリチ・ブォルイニ公国が最初のウクライナ国家となりました。14世紀にその公国が滅亡してから、ウクライナはリトアニアとポーランドが支配しましたが,その期間にモスクワ公国、ポーランド王国、リトアニア公国に分割され、それまで単一のルーシ民族であったものが、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの三民族に分化しました。

15世紀ごろからウクライナやロシア南部のステップ地帯に住みついた者たちが、出生を問わない自治的な武装集団「コサック」を作り,17世紀には、コサックは遠征してコンスタンティノープルや小アジアをも襲うようになり、ドニエプル川中・下流域に確固とした勢力となり、1648年に「コサック国家」を樹立しました。しかし,1651年のポーランド軍との戦いに破れ、18世紀になるとドニエプル川の左岸は完全にロシアに併合され、右岸はポーランド貴族の荘園となりました。18世紀末にはポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアの三国に完全に分割され、ウクライトナの右岸の大部分はロシアが獲得しました。

1922年にソ連が成立し、ウクライナはソ連を構成する共和国の一つとして、その後の70年間存続しました。しかし、ソ連は、モスクワが全権をもつ共産党独裁の中央集権体制であることから、それを構成する共和国は単なる共産党の支部にすぎず、ロシア帝国からソ連に名前がかわっても、同じロシア人の支配という点ではなにも変わりはしませんでした。

ウクライナは、面積ではヨーロッパでロシアに次ぐ第二位で、人口は5000万人でフランスに匹敵しています。石油・天然ガス資源は十分でないですが、鉄鉱石はヨーロッパ最大規模の産地です。農業に関しては、世界の黒土地帯の30%を占め、「ヨーロッパの穀倉」と呼ばれ、耕作面積は日本の全面積に匹敵し、農業国フランスの二倍もあります。工業や科学分野でも、かつてのソ連の工業地帯であり、それを支える科学者・技術者の水準も高く層も厚く、国民の教育水準も高く、国民性は堅実で忍耐強いといわれます。そして、ウクライナは地政学的にも、ヨーロッパとロシア、アジアの間の重要な位置にあります。

1991年の独立以後、ウクライナでは親ロシア派と親欧米派が対立してきましたが,2014年以降,親欧米派の大統領がNATO加盟を表明してきました。ロシアはかつてのモスクワ大公国、ロシア帝国、ソ連の領土が自国の領土であり、豊かなウクライナがそれには不可欠という国境の概念を引きずっていると思われ、そのためウクライナ侵攻を正当化していると考えます。しかし、それは現実として完全に他国への侵略であり、現在の国際法上では許しがたい暴挙です。このプーチンの暴挙は、大国ロシアの国際的地位を貶め、同時にロシア国民に対して大きな犠牲と損失を与えるものと考えます。それ故、ロシアはこの侵略を即時停止するべきと考えます。


2021年1月25日
スマホ脳

アンデシュ・ハンセン 著
久山葉子 訳
新潮新書 980円(税別)


 私は携帯電話はガラケーで、スマホは持っているものの、SNSはLINEでほぼ家族と共有しているだけで、ほとんど使っていない。25年前からインターネットでメールやメーリングリスト、Webを活用して、一時は博物館とインターネットに関する論文や講演も発表していたが、10年以上前から専門の地質学に集中するため、スマホやSNSは遠ざけていた。

 この本の著者は、スウェーデンの精神科医で、心と身体の健康について脳の作用から悩める人たちに説く世界的なインフルエンサーである。彼は、スマホはドラッグと同じで依存症になりやすく、そのため集中力がなくなり、画面を見続けることは精神面や睡眠に与える影響は大きく、特にSNSはうつ病患者を増加させると警告を与えている。

 筆者は、現在のヒトが東アフリカに生まれて20万年のうち、他の動物からの脅威や飢餓などの心配のないほぼ安全な現代社会になったのは最近であり、人間は現代社会に適応するようには進化していないと述べている。そのため、過食による肥満やストレスによるうつ病など、ヒトの脳と現代社会のシステムがミスマッチを起こしており、SNSを伴うスマホはさらにそれを増大させているとしている。

 そして、本書の巻末には、スマホの利用について、時間を決めて利用し、利用しないときはスイッチをオフにし、勉強や寝るとき、人と会う時にはスマホは近くに置かず、子供には利用を制限し、SNSはアンインストールして、散歩するなど運動をしようとアドバイスしている。

 デジタル・テクノロジーは、人類にとっての第三の波であり、それは社会の新しいシステムをこれからも構築していくにちがいない。しかし、そのようなツールは両刃の刃であり、核開発と同様にそのことをきちんと認識して利用すべきであり、人類はここでも大きな過ちをおかしていると思われる。その証拠に、本書で、フェイスブックやiPad、iPhoneの開発者たちの「僕たちはいったい何を創ってしまったのだろう」、「それが思ってもみないような悪影響を与える―それに気づいたのは後になってからだ」、といった後悔の念が語られている。


絶滅の人類史
なぜ「私たち」は生き延びたのか
更科 功 著
NHK出版新書 820円

 NHK スペシャル |人類誕生 (3 回シリーズ ) の種本的なもので、700万年に及ぶ人類史は、ホモ・サピエンス以外のすべての人類にとっての絶滅の歴史にほかならないとして、彼らは決して「優れていなかった」わけではなく、むしろ「弱者」たる私たちが、彼らのいいとこ取りをして生き延びたとした。

 直立二足歩行は、短距離が苦手で、草原では肉食獣に襲われてしまうため、今まで、他の動物で直立二足歩行が進化しなかったのに、なぜ人類は直立二足歩行になって生き残ったのであろうか。この本のテーマのひとつは、そのことにある。この本では、人類の進化に関する最近の知見を取り入れ、人類がどのように進化し、私たちホモ・サピエンスが生まれてきたかを、わかりやすくまとめられている。

 樹上生活をしていた大型類人猿のうちで、樹上生活がへたで直立二足歩行を始めるものがいて、それは森林が疎林に変化する環境にも適応し、直立二足歩行をすることにより、オスが、メスや子のために食物を手で運ぶことができ、集団生活の中でも一夫一婦制のペアを形成するようになったとしている。

 初期のホモ属は(ホモ・ルドルフェンシスを含む)「ホモ・ハビルス」という1種にまとめられるべきで、脳容積の増加が見られる。すでにのホモ属の祖先は、石器を使い始めていて、ホモ属は石器を使い始めてから脳が大きくなった。直立二足歩行は、手で物を運ぶという最初の利点により一夫一婦に近い社会と結びついて、初期人類を進化させ、ホモ・エレクトゥスでは長距離を走ることで手に入る肉の量が増えたことにより、脳をさらに大きくしていった。

 この本の大きなテーマである「生物が生き残るか、絶滅するか」ということは、「優れたものが勝ち残る」のではなく、「子供を多く残した方が生き残る」のであり、「優れたものが勝ち残る」ただ一つのケースは、「優れていた」せいで「子供を多く残せた」ケースであると述べている。


日本史の謎は「地形」で解ける[文明・文化編]
竹村公太郎 著
PHP文庫、705円(税別)


 前回紹介した『日本史の謎は「地形」で解ける』の続編で、[環境・民族編]の完結編とともに姉妹で出版された1冊である。この本のどのテーマも興味あるものので、なぜ日本が欧米の植民地にならなかったかについては納得するもので、都市の発達に重要な飲み水の問題など多くのテーマが地形や地形利用、地形改造とともに関連して語られている。

 特に番外編のピラミッドの謎は、文科系の考え方からは発想しない地に足のついたエジプト文明の根幹にかかわる解釈として理解できる。

 筆者は、文明の上部構造と下部構造を基盤である地球という地形・気候が支えていることから、文明を考える上には基盤である地形と気候が重要であるという考え方に立っている。この考え方は私が地質学を志したものと同じで、人の社会は地殻の土台に立脚していることから、まずそれを知ることから始めるべきであるというものである。


日本史の謎は「地形」で解ける

竹村公太郎 著
PHP文庫、743円(税別)


 筆者は旧建設省の河川事業に長年従事してきたことから、日本の歴史のうちで彼の謎を地形から解き明かしたもので、とても興味深く、納得の行く考え方だった。私も地質学の面から地形にはとても興味があり、それと人の歴史との関わりにも常々興味をもっている。

 奈良が最初の都になった必然性とそれがなぜ京都に遷都されたかということは、沖積平野の地形形成に起因していることを気づかせてくれた。また、家康の江戸の開発は、彼の静岡平野の開発とも通じ、日本史上最大の国土開発者ということも再認識できた。信長の比叡山焼き討ち、忠臣蔵の裏での吉良家の抹殺、虎の門の溜池とはなどなど、地形と強い関連があって歴史があり、その上に私たちがある。

 私たちは現代社会の中で地形を意識しなくなったが、地形がとても大事であることは昔もかわらない。


日本人は知らない「地震予知」の正体

ロバート・ゲラー
双葉社,158ページ,2001年8月,1200円+税

 著者は、地震学者の立場から、「大きな地震は繰り返し起こる」ことや、「大きな地震の前には前兆現象がある」という地震予知の前提が成立しないことを述べ、東海地震にかぎらず地震予知できないことを明らかにしている。また、日本の地震予知制度の成り立ちを示し、この根拠となっている大規模地震対策特別措置法を即座に撤廃して、予知のために支出していた予算を「いつどこで起こるかわからない」地震への備えにまわすべきと訴えている。
 
 本の内容を物語っているこの本の目次を紹介する。

 はじめに「地震予知」という幻影
 第1章 3.11「東北大震災」の衝撃
 第2章 福島の原発事故は「想定外」だったのか?
 第3章 「予知はできない」と知っているのに知らん顔の御用学者たち
 第4章 世にも不思議な地震予知を斬る
 第5章 震災大国・日本の進むべき道
 あとがき


二酸化炭素温暖化説の崩壊

広瀬 隆 著
集英社新書 2010年7月21日発行  700円+税

 著者は、この本で二酸化炭素温暖化説の間違いを科学的にわかり易く説明しているとともに、世界が中世の魔女狩りのように二酸化炭素に罪をかぶせている隙に進行している、都市化によるヒートアイランド現象と原子力発電の排熱による環境破壊を警告している。そして、新たな電気エネルギーとして燃料電池エネファームを提案している。原発による節電やCO2、温暖化など、私たちのまわりのエネルギー問題について疑念が晴れる一冊です。

 私は以前から、科学的に二酸化炭素温暖化説に対して疑念を抱いていた。なぜかというと、人類の化石燃料の消費によるCO2の大量排出がはじまったのは、第二次世界大戦後の1950年以降であるのに、地球の気温上昇は1980年代以降に始まった現象であるからだ。もし、CO2の大量排出が地球温暖化の原因ならば、気温上昇はもっと早くから起こっていなくてはならない。

 この本は、私の二酸化炭素温暖化説に対して疑念について、科学的にきちんとした解答と、その背景について教えてくれた。ノーベル平和賞を受賞したIPCC(気候変動に関する政府間パネル)は気候変動データを捏造してまで二酸化炭素温暖化説を主張し、ほとんどの国家やマスコミは温暖化により海面は上昇すると信じて、人々にCO2の排出を少なくすることが「エコ」自然環境に貢献することだと洗脳した。

 まったくの茶番だが、それによって、CO2排出売買や原発増設などが是認されて、我々の大事な地球と財産を蝕んできている。もう、このようなヒステリックな環境保全運動はこりごりである。


爬虫類の進化

疋田 努 著
東京大学出版会 4000円+税

 爬虫類とは、羊膜卵をもつ動物で、分岐分類学の立場では私たち哺乳類も広く見れば爬虫類の仲間(羊膜類)となります。本書は、動物系統学的立場の研究者が、爬虫類はどのような動物で、どのような起源をもち、多様な爬虫類の特徴とその分布について詳細に解説したものです。

 また、専門である爬虫類の生物地理学では、特に日本列島の爬虫類相の成立が議論されています。著者は、日本の土着の動物をすべて大陸から渡来したという従来の考え方は、日本列島や琉球列島が種分化の場所でもあるという観点が抜け落ちているとし、まず近縁種間の種分化の分岐関係を解析して、その結果と種の分布を対応させた系統地理的パターンから地理的な隔離を仮定して、生物地理を見直すべきだと述べています。

 そのような立場から、本書でも琉球列島や日本列島、そして伊豆半島などの爬虫類の分布について、種分化の分岐関係を用いた新しい生物地理が提案されています。

 また、本書の最後の章には、トカゲ釣りなど爬虫類の採集法や標本作成など爬虫類の研究方法が紹介されていて、興味をもった人にとっては楽しい本になっています。


カメのきた道
甲羅に秘められた2憶年の生命進化
平山 廉著
NHKbooks 1095、定価920円+税

 カメを知らない人はいないでしょうが、カメについて私たちはどれだけ知っているだろうか。カメはなぜ甲羅を脱げない?カメはなぜ歯がない?カメの首はなぜ引っ込む?カメの先祖はどんな動物?カメの食生活は、寿命?と、カメを見れば見るほど疑問が湧いてくる。これまで、それほどじっくりとカメを見ていなかったことは確かだ。首をよこに曲げるカメは南半球の大陸にのみいたり、ゾウガメがガラパゴスなど孤島で生き延びていたりと、カメは中生代から新生代の地球の古地理を探る手かがりも語ってくれる。

 この本は、カメ化石の研究家が古生物学者の目で、多様な環境に適応したさまざまなカメについて紹介している。


偽善エコロジー
「環境生活」が地球を破壊する
武田邦彦著
幻冬舎新書 定価777円

  ゴミは分別して収集されているが、実際にどれだけリサイクルされているのか。著者はリサイクルの現状の矛盾を示し、ゴミは金属だけ分けて他は一緒に燃やすべきと主張する。

リサイクルするために、私たちは反対にエネルギーや環境に負担をかけていないのだろうか。

環境ヒステリーに対する著者のアンチテーゼに賛同する。



生命と無生物のあいだ
福岡伸一著 
講談社現代新書 定価740円

現在はゲノム・プロジェクトが完成し、遺伝子のどこにどのような情報が記されているか詳細な設計図が明らかになっています。この本は、遺伝子が核酸(DNA)でできていることそのDNAは二重らせん構造をもつこと、そして生命とは自己複製を行うシステムであること、さらに生命とは動的平衡状態にある「流れ」であることなどが明らかにされていく研究の歴史が、わかりやすく述べられています。

それと同時に、二重らせんの発見にまつわるスキャンダラスな事実など、研究者たちのさまざまな逸話が潤滑油となり、読み進むと生命の核心に近づいていきます。

 遺伝子やDNAなどむずかしそうな話が、その時その時の研究の問題点と、研究者の人間くさくい実態と折り重なり、とてもわかりやすく書かれている本です。


2007年9月30日
「退化」の進化学
ヒトにのこる進化の足跡
犬塚 則久著 講談社Blue Backs 定価820円

著者はデスモスチルスなどの復元で有名な古脊椎動物学者で、化石研究会ではよくお会いしてお世話になっている。化石研究会ニュースでも小寺さんが紹介記事を書いていて、読みたいと思っていたが、夏に静岡駅の書店で見つけてさっそく夢中になった。

人類の先祖を霊長類、哺乳類、脊椎動物とさかのぼっていくと、反対に過去から進化してきたなごりが私たちの体に残っている。それらを退化器官や痕跡器官といい、この本はそれを題材として進化を紹介している。一般にはわかりにくい比較解剖学の知識を、古い時代から現在へという流れの中で、私たちの体に残る祖先の痕跡がさまざまに変化してきたようすを興味をもたせる嗜好で語られている。これらのいくつかを以下に紹介する。

哺乳類の耳の骨はもともとサメの顎そのものだった。臼歯で食べ物を細かくかみ砕きすり潰すことを咀嚼というが、これは消化効率をよくするための消化法で哺乳類が恒温性を確保するために重要な機能という。心房中隔にしばしば欠損がある人がいるが、これは胎児の心臓の、すなわち魚類時代のエラ呼吸のなごりだという。たしかに、胎児は肺循環をしていなかったわけで、産声をあげるとともに人は魚から陸上動物に変身する。

腓骨は直立歩行する動物では退化する傾向があるという。たしかに鳥の腿肉を食べているとなともな腓骨に出会えない。玉子はどうやってできるか。卵管下部で卵白や卵殻を分泌して玉子はできるが、哺乳類ではその下部の部分の筋層が肥大して子宮になったという。虫垂はヒトやチンパンジーにはあるが、ヒヒやニホンザルなどにはみられない。類人猿は3000万年前に出現したので、その頃から盲腸が退化して虫垂ができたという。

このように、紹介されている器官は耳小骨あり心臓あり、横口蓋ヒダ、松果体、腓骨、乳腺、子宮、半月ヒダ、中心骨、錐体筋、足底筋、インカ骨、毛、歯などある。これらをそれぞれ進化、いや退化の観点から見ていくと、私たちの体そのものが系統的に古い器官からさまざまに形成されたことがわかり、とても面白い。しかし、読み始めていきなり難しい解剖用語がでてきて最初は困惑するが、その反面、それらの用語の細かな説明がないことと、より重要なことがはっきりと示されている点で、専門的な知識を気にせず気楽に読み進められた。古生物学や人類学、解剖学を学ぶのには、とてもよい本である。


2007年6月1日
超・美術館革命 −金沢21世紀美術館の挑戦−
蓑 豊著 角川Oneテーマ21 ¥686+税

市立美術館は1年間の入館者が5〜6万人と言われるが、金沢21世紀美術館は一般になじみの薄い現代美術を扱っているにもかかわらず、開館わずか2年余りで300万以上もの人が訪れた。中心市街地の空洞化に対して、美術館が町おこしの核となった「アイデアと情熱」を館長が熱く語っている。ファンド・レージング経営者である館長は、行政は立派な建物を造ればいいという箱物行政だし、美術館を運営する人たちは外に眼が向いていないために人に見に来てもらおうという発想がない。さらに美術館は暗いというイメージが強いのは、照明が暗いからではなく、学芸員が暗いからである。と痛烈に日本の美術館を批判する。

学芸員は専門知識を持っているだけでなく、まず普通の人間であることが要求される。として、博物館における学芸員の大切さを述べている。また、「教育」という言葉は英語では「エデュケーション」、つまり「引き出す」という意味である」。だから、本来の教育は「引き出す」ことを主眼にすべきなのに、どうも日本の教育は「教える」ことに終始しすぎるきらいがあるとしている。

「美術館」を「博物館」に読み替えて、博物館教育論としてこの本を読んでみると面白い。



2007年3月29日
グーグル・アマゾン化する社会
森 健
光文社新書269 700円+税

ウェブの世界では、「ロングテール」という言葉がよく聞かれる。売上を縦軸に、売上順位を横軸にして描いたグラフで、巨大な売上を稼ぐ上位の部分をヘッド、それ以外の売上下位の部分をテールという。商品点数やアクセスに制限のないウェブの店舗では、テールの部分、すなわち多様化した部分でヘッドの量と同等かそれ以上の収益がもたらされるという意味で、「ロングテール」はテールの部分に注目した言葉である。

しかし、この本では「ロングテール」のヘッドに注目して、ウェブの世界でもグーグルやアマゾンを代表とされる一極集中的現象を冷静に分析している。社会における多様化と一極集中がなぜ起こるのか。それを、スケールフリー・ネットワークという視点から読み解き、タグによる「ロングテール」の盲点と、個人の関心事項に特化したSNSなどのパーソナリゼーションの本質が集団的分極化に繋がることを明らかにしている。そして、情報多様化と表裏一体で進む一極集中的な現象が社会にどのような影響を及ぼすかを、私たちに問いかけている。

本書では、「80対20の法則=パレードの法則」、すなわち世界の80%の富は20%の人がもっているという経験則は、経済だけでなく、一極集中化的な社会の形成により、自己の思考や社会的意思決定においても主体的で多様化したものが排除され、意図的に規定されていく可能性があることを、強く警告している。そして、このような法則が支配する社会では、多様な意見をもとにして話合いのプロセスで解決を図る民主主義を実現するのはかなりの努力を要すると述べている。そして最後に、このように一極集中が進む社会にあって、そのような思考を回避し、多様性を認知しつつ、主体性のある思考を貫けるのか。現代を生きる私たちに課せられた「群衆の叡智」は、その真価を問われている、と結んでいる。


2007年3月26日

この国の未来へ
−持続可能で「豊か」な社会

佐和隆光
ちくま新書641 680円+税

現在の日本の社会について詳細な分析と、ポスト工業化社会での日本社会のあり方などを述べている本で、特に教育や研究のあり方、人の豊かさと幸福など、著者がずばりと言い切っているところに感銘を受けた。

この本では、現在の日本は、小泉政権により国の経済活性化を最優先され、所得格差の拡大や公共医療・教育の荒廃などの副作用が蔓延しているとして、それを引き継いだ安倍政権でもそれを是正するどころか拡大させていると言う。この政策は、まさに1980年代の英国のサッチャー政権の政策を真似たもので、このような純粋な市場原理主義はユートピアに過ぎず、社会の歪を拡大させて人々から経済的および精神的豊かさを奪うものであると、著者は批判している。

国が豊かであるためには、まず一人ひとりの個人が豊かにならなければならないが、それに対して日本の豊かさは、国が豊かになってはじめて一人ひとりが豊かになると、いうものとしている。また、著者は個人の豊かさは経済的なものだけでなく、社会のなかにおける人間としての存在感を実感することであるとし、そのためには教育の重要性を主張し、国の人的資源の劣化は長期的な経済的損失を発生させたとしている。

工業化社会向きに最適だった日本型教育と労働システムは、ポスト工業化社会(ハイテク製造業とソフトウェア産業)では最不適であることが述べられ、「機会平等を保証しさえすればそれで十分である」とする市場主義者に対して、機会均等に加えて「可能性の平等」(与えられた機会を利用しうる可能性の平等)が保証されなければならないとしている。そして、この可能性の平等のためには公教育の整備・充実が不可欠であり、親の貧富の格差に依存しない等しく教育を受けることができる「可能性の平等」の必要条件があるとしている。

また、学術・科学の分野における「偉業」は、あくまでも偶然的に達成されるのであって、計画的に達成されるわけではなく、そのため国が重点分野を定め、そこに研究費を傾斜配分するのは害あって益なしとして、大規模集中型の研究費配分よりも小規模分散型のそれのほうが望ましいとしている。アメリカの軍事研究が、本来の目的である「軍事力増強」は抑止力にとどまり、むしろインターネット、GPS、宇宙ステーションなど多方面に波及効果を発揮したという例は興味深かった。

福祉に関しては、ポスト工業化社会においてリスクと不確実性が途方もなく増大するため、リスクに挑戦するための保証としてのポジティブな福祉を提案しているが、十分な紙面を福祉問題に割いていない。また、後半の「科学技術と持続可能な社会」では著者の地球環境問題への取り組みを紹介しているが、それまでの議論の書き方と十分にかみ合っていないような印象をうけた。


2007年3月26日

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ

太田直子
光文社新書292 700円+税

私は映画は好きで、洋画はどちらかと言うと吹き替えよりも字幕版が好きで、いつも字幕にはお世話になっている。しかし、これまで字幕はさしみのツマ程度にしか考えていないで、字幕についてそれほど気にとめて考えたことがなかった。この本は、映画字幕の製作を通して、日本語の使われ方と使い方、また字幕翻訳や映画配給についての著者が感じたことてをエッセイ風にしたてたものである。

字幕の翻訳文の字数は、各せりふの長さで決まり、1秒のせりふで4字以内ということを知った。すなわち、字幕はせりふの要約翻訳で、大変な仕事だと理解した。その大変さはそれだけではなく、翻訳者はビデオテープと原語台本、それと各せりふの長さが記されたリストを受け取り、1作品について1週間ほどで字幕原稿を完成させるという。ふつう1作品には1000ほどのせりふがあるらしいが、それを観客が読めてせりふの内容を即座に理解できる形に、字数制限内の短い字数に要約して、さらに俳優のせりふの流れと不具合のないように作成し、全体としてもその作品の意図を変えないような字幕作品を短時間で完成させることは、私には想像もできないほど過酷な仕事に思える。

そこには、外国語と日本語にある程度堪能なことはもちろん、外国の習慣やさまざまな専門知識、それとドラマの設定や人物像のイメージなどを各作品ごと深く掘り下げることが必要で、著者が胃痛に耐えながら叫ぶように、字幕も観客にとっては作品のうちであり、その質を落とさないために、売るだけを目指した映画配給の姿勢は極力避けてもらいたい。

また著者は、最近の字幕や吹き替え版の普及の傾向について、日本人の語彙力と表現力の低下、コミュニケーションの低下、すなわち幼稚化をあげている。だらだらとしゃべりちらすことは得意でも、深く思考を伴う本物の対話ができないと指摘している。

この本の文章は、楽しく軽いタッチで綴られていて読みやすい。字数制限と時間制限のない原稿作成に、著者のとまどいも少し見られるが、字幕屋さんの苦労が感じられて、今度は映画を字幕にも気にとめて見直してみようと思った。


2006年12月26日
格差社会
何が問題なのか
橘木俊詔
岩波新書1033 700円+税

1980年代までは日本の社会はあまり貧富の差が少なく、今世紀に入ってから格差は拡大している。「国際競争の中で格差が拡大してもしょうがない」という意見はあるが、1980年代までの日本は国際競争力がなかったのか。むしろ、その頃の日本は経済成長も著しく、競争力や将来に対しての夢も大きかったのではないだろうか。この本では、格差の実態と格差が広がる要因、社会の二極化と貧困層の実態、今後の問題と是正案について、具体的に示されている。母子家庭や高齢者、そしてフリターなどの低所得者に対して、さらに厳しい政策がつづき、日本社会のセーフガードは政府みずから崩壊させている。著者の提案するように、日本はアメリカになろうとするのではなく、北欧の社会に学ぶべきだろう。


2006/09/01

世界の日本人ジョーク集
早坂 隆
中公新書ラクレ202
760円+税

この本は、世界で楽しまれている「日本、日本人をネタにしたジョーク」を各テーマごとに収録して、筆者なりの簡単な解説や各地でのエピソードを添えて、日本や日本人が世界でどのように見られているか、日本の顔と最近の変貌を楽しく読ませてくれるものです。東京からの新幹線の中と通勤途中の車内で一冊読み終えてしまいました。この本はとても軽いタッチで、ジョークをネタに世界での日本と日本人の姿をさまざまなテーマに沿って語っています。

他の国もふくめネタにしたジョークは各国、各国人の特徴がでていて、つい噴き出してしまいます。ジョークの後の解説とエピソードからは、著者の世界と日本の見る目の自立した視点の広さと深さに、とても楽しませてもらいました。


2006/5/25

グーグルGoogle
既存のビジネスを破壊する
佐々木俊尚
文春新書 定価(税込)798 円

検索エンジンの巨人Googleはとても大きな会社に急成長した。Googleはなんで収益をあげているのだろうか。そして、何を目指しているのだろうか?Googleはいますべてを含む巨大なデータベースを構築しようとしている。そして、既存のビジネスを次々と破壊し、世界の秩序が根底から覆されようとしている。近未来の我々の世界は、どのようになるのか。Googleは巨大なデータベースを武器に我々を支配する神となるのか。ロングテールの経済学、グーグル八分など、また世界が広がった。とても面白く、またとても考えさせられた。


2006/04/22
環境問題のウソ
池田清彦 著
ちくまプリマー新書029 760+税 円

 CO2による地球温暖化やフロンによるオゾン層破壊問題、はたまた捕鯨禁止など環境問題とされるこのこの種の「環境問題」の多くが科学的根拠にもとづいているか以前から疑問だった。なぜならば、CO2の増加と地球温暖化についてまたはフロンの使用増加と極地圏上空のオゾン層の縮小など数十年や数百年前から観測ができないにもかかわらず、その因果関係をここ数年の観測から断定することはできないと思えるからである。世界的に吹聴されているこの種の「環境問題」は科学的な環境問題とはまったく別の「問題」としてとらえるべきではないだろうか。

 この本には、地球温暖化問題とダイオキシン問題、それと外来種問題、自然保護という4つの「環境問題」が取り上げられ、そのウソとホントについて詳しく語られていている。そして、世間に流通している正義の物語がどのように作られているかよくわかった。

 1940〜1970年には人為的に排出されたCO2が急激に増加したにもかかわらず、地球の平均気温は低下している。そういえば、1970年代には気象学者の根本順吉氏の「氷河期が来る」といった本を私も買って読んだことがあった。ダイオキシンの問題では、農薬工場の爆発で直接被害を受けないかぎりダイオキシンで死ぬことはないということを知った。ダイオキシンというとおそろしい「毒」の代名詞になっているが、単位の問題が重要という。また、外来種についても普通に言われている外来種被害とは異なる意見と、外来種駆逐と在来種保護がナチズム的な思考ということも思い知った。

 この本の著者は以前に紹介した「新しい生物学の教科書」の著者で、生物学者であるが、専門外の環境問題についても紹介していただき大変参考になった。

 日本では、特に小中学校や地域では「環境問題」というとゴミ問題にすり替えられてしまう。環境を考える場合、私たちのすむ周辺も含めた自然環境が基本であり、自然がどのような状況にあり、どのような仕組みでなりたっているかをまず知ることが自然環境教育だと思う。ゴミを捨てなかったり拾ったりするのは、環境問題ではなく仕付けや生活態度の問題であり、環境を知りどのような環境を将来に残していくかを実践する行為に繋がらない。


2006/04/22
<旭山動物園>革命―夢を実現した復活プロジェクト
小菅 正夫 著
角川oneテーマ21 ¥760 (税込)

 旭山動物園の入園者が上野動物園を抜いたことや旭山動物園がユニークな展示などを行っていることも聞いていたので、いちどそれに関する本を読んでみようと思っていたところに本書を見かけた。

 1980年代後半には、入園者数がが下げ止まらず閉鎖の危機もあったというが、飼育や展示に関する勉強会を継続し、動物園の役割の基本を「レクリエーションの場」、「教育の場」、「自然保護の場」、「調査・研究の場」として職員の共通認識としていたという。飼育を通して学んだ動物たちの習性を利用して、動物たちも楽しく、働く飼育係も楽しく、来館者も楽しい動物園がつくられてきたことが読み取れた。

 また、筆者は「動物園に珍獣はいらないと同様に、組織に飛びぬけた人材もいらない」と述べ、「飼育係がやりたいことをやれる環境を整えるのが園長の役割である」と組織の基本を述べている。

 うちの博物館も来館者数の下げが止まらず、いまや閉鎖の危機も叫ばれている。旭山動物園では、閉鎖の危機にあった時期に勉強会を中心にむしろ調査・研究に力を注ぎ、その成果が今日を築いたと思われる。「雨降って地固まる」がごとく、また「雨の日のつぎには晴れる日も来る」。「短所を長所に」、危機に対して私たちは何をするべきか、この本は教えている。


2006/04/22
99.9%は仮説−思いこみで判断しないための考え方
竹内 薫 著
光文社新書 ¥735 (税込)

 このような本がベストセラーになっていることは、歓迎すべきことだと思っている。タイトルに引かれてすぐに読んでしまったが、読みやすく、とてもわかりやすかった。
 すべては仮説であり、真実とは追い求めるものであり、仮説はあくまでも仮説であり、真実ではない。20年ほど前に、ある地球物理学者が「プレートテクトニクスはすでに仮説ではなく真実である。」ということを言ったが、プレートテクトニクスもまだ仮説である。なぜならプレートを誰も見たことはないし、プレートテクトニクスですべてを説明することもできない。

 恐竜の絶滅を隕石衝突で説明するのも仮説であり、私たちが常識と考えているものすべてが仮説でしかない。私たちは学生のころ、既存の説を信じるな、野外調査のときにはその地域のすでにある論文を読むなと教わった。なぜならば、既存の定説とされる仮説を知ることで既成概念に汚染されて野外の事実を素直に観察したりできなくなるからである。また、既存の説に対して疑問をもち反論することが新たな仮説をつくる早道だとも教えられ、自分独自の独創的な仮説をもつ者が真の科学者だとも教わった。

 本書には「仮説を倒すことができるのは仮説だけである。」や「科学は常に反証ができるものである。」という言葉が記されている。科学者でなくても、既成概念にとらわれず自分の目で見て、自分で判断して、自分の生き方や考え方を熟成させて生きることが、真に主体性のある生き方であると確信している。



2006/04/22
パンダの死体はよみがえる
遠藤 秀紀 著
ちくま新書 ¥735 (税込)

 国立科学博物館にいた遠藤さんの著書で、動物の死体の解剖と遺体(死体)を将来に残す重要性が語られている。

 ゾウの巨体と取り組んだ解剖のようすや、パンダのもうひとつの「偽りの親指」の発見、レッサーパンダの「偽りの親指」、ツチブタの手の機能美など解剖学が明かす動物の体制系の機能の不思議が紹介されていた。文章を文学的に表現しているためか、また念を入れて表現しているためか、多少冗舌で繰り返しも多く、読み進みにくいところがあったが、内容がおもしろく一気に読んでしまった。

 本書は、筆者の主張する「遺体は全人類共有の財産である」という理念で貫かれていて、保存された遺体のいくつかについての標本としての意味や歴史的・社会的な重要性が示されている。また、遺体に興味をもたなくなった解剖学や標本を保存できない日本の大学や博物館に対して、筆者は痛烈に批判している。

 「本来博物館とは、例えば遺体を集め、例えば学術資料を収集し、そこから人類の新たな叡智を獲得していく、文化や学問や教育の根幹を支える組織であるはずだ。それがわが国では公共事業や政治や行政の体の良い道具に化している。それは貧しさ以外の何物でもないだろう。」と。


2005/10/20
日本の動物はどこからきたか
動物地理学の挑戦
京都大学総合博物館 編
岩波科学ライブラリー109 定価:1200円

 京都大学総合博物館で同名の特別展を2005年秋に開催するに先立って発行された本。日本は島国なので、そこにすむ動物はいつかどこからか渡ってきたはずである。とくに、沖縄や小笠原諸島、伊豆諸島の動物の起源は興味深い。これらの動物地理学の問題に哺乳類はじめヘビ、トカゲ、サンショウオ、ビワコオオナマズ、海水魚、ネクイハムシ、アサリなどに関して、最近の遺伝子データも含めて京都大学の動物地理学の研究者13人が執筆している。全体が112ページで、各項目が7〜8ページほどにまとめられていて読みやすい。

 遺伝的にニホントカゲとは別種の伊豆諸島にいるオカダトカゲが伊豆半島にもいることから、伊豆半島は南から日本列島に衝突した説を裏付けるという記述があるが、南から来た伊豆半島にすむオカダトカゲの先祖はどこから来たのか。おそらく、オカダトカゲの先は八丈島のマムシと同様に日本列島から伊豆半島に渡ったのだろうが、その点についてまったく議論されていない。また、小笠原諸島に固有種の陸貝が73種もいることが書かれていた。その陸貝の起源についてもまったくふれられていない。ガラパゴス同様に海洋島のこれらの動物の起源は漂流してきたと考えるのだろうか。

 本書は動物地理学についてのとても興味深い本であるが、動物地理学の議論に海底地形や地質学的な検討がほとんどされていないのが、残念であった。とくに、琉球列島の動物分布に関する地史について図などを加えてもっと詳細に述べてほしかった。とはいっても、久しぶりに動物地理学の本に出合え、遺伝子データが活用され、生物多様性や環境保護とも関連して動物地理学の重要性を再認識できてうれしかった。


2005/10/4
考えないヒト
ケータイ依存で退化した日本人
正高信男著
中公新書1805 定価:700円

 「ケイタイを持ったサル」の続編で、霊長類研究者が若年層の行動とサル(特にチンパンジー)の行動との類似性をもとに、現代のケータイ文化や社会性を批判し警告する書。ケータイ代表されるITによって、若年層は空間の隔たりを越えて、コミュニケーションがとれるようななった反面、自他の区別が曖昧になり、自己意識をはじめとする社会認知の発達ができないと指摘する。社会認知の発達が未熟なまま、集団からはぐれることを危惧し、周囲の振る舞いに敏感で、それに同調し、その一方「自分探し」をして、思春期の子どもの不安定な「出歩き集団」の下に離合集散をくり返す。

 若年層に見られる出歩き行動が、チンパンジーの「遊動」と酷似していて、そのパーティの形態や集合、パーティ中での「気配り」や平等など詳細に説明されている。また、コミュニケーションの退化と行動の衝動性は「キレる」という現象に現れ、それは幼少期からの社会性の欠如による思考の未発達が原因としている。このような現象は、ラジオの出現以後見られる現象で、ケータイの普及にともない東アジア全域に拡大しているという。


2005/10/4
ケイタイを持ったサル
「人間らしさ」の崩壊
正高信男著
中公新書1712 定価:700円

 昨年読んだ本だが、「考えないヒト」を紹介するついでに紹介する。渋谷センター街に群がる若者たちを見て「異人種か珍種のサル」と嫌悪感を持っていたサル学者が、サル学者として目覚め、彼らを詳細に観察し、知見を総動員し分析して、「サル化する現代日本人」の危機を訴えた書。
 ヒトは生来の資質に加えて、社会の中で社会文化的に「人間らしさ」をもつようになるが、現代は「人間らしさ」をもたせる仕組みが崩壊して、社会文化をもたないヒト(すなわちサル)化が進んでいる。

 本書の章立てを紹介すれば、「マザコン進化史」、「子離れしなす妻と居場所のない夫」、「メル友を持ったニホンザル」、「関係できない症候群」、「社会的かしこさは40歳で衰える」、「そして子どもをつくらなくなった」。
 母子密着型の子育ては、高順位のニホンザルの社会交渉パターンと類似し、年をとっても対人関係が幼少期の範囲を超えない。挫折や苦労、悲しい体験を避けては社会性は育たない。ことばの「乱れ」や「べた靴」など「家のなか」感覚は、公共的状況の認識の欠如を示し、人間として言語をその本来の意味で使用せず、人間としての行動をとらなくなった現れで、それはすなわちサルへの先祖がえりに他ならない。


2005/9/4
遺伝子で探る人類史
DNAが語る私たちの祖先
ジョン・リレスフォード著 沼尻由紀子訳
講談社 Blue Backs 定価:1040円

著者はもともとアイルランドの人類集団の移動や定住などを、頭部や顔の計測分析などによる伝統的遺伝標識をもちいて推定した人類学者であるが、この本では人類の祖先について遺伝子による方法や化石、文化的側面なども含めてわかりやすく解説している。ヒト科がアフリカの類人猿から分岐した420万年前から現代型人類の出現、ネアンデルタール人はどこえ消えてしまったか、最初のアメリカはどこからきたか、ヨーロッパの農耕の起源は、ポリネシア人はどこからいつきたのか、ユダヤ人やアフリカ系アメリカ人の遺伝学的研究など、古い時代から新しい時代へと人類の軌跡をたどりながら、遺伝子的混合や文化的同一性について議論している。

 ミトコンドリアDNAは母方の先祖をたどり、Y染色体は父方の先祖をたどることができる。本書では、これらの手法や遺伝的類縁性(距離)などをもちいて、また文化的同一性と遺伝的同一性の評価も含めて、人類集団の遺伝的歴史は人々の移動と交配の歴史でもあり、現代のほぼすべての集団は混合した雑多な祖先をもっているとしている。現在、優勢なアフリカ単一起源説に対して、約13万年前にアフリカで誕生した現代型人類が世界に拡散していき、その地域で古代型人類と混合して現在の人類が生まれたという「第一次アフリカ起源説」を主張している。ネアンデルタール人の消滅は単なる絶滅ではないと私も考える。


2004/05/26登録
新しい生物学の教科書
池田清彦 著
2003年8月 新潮文庫 365ページ
ISBN:4-10-103521-0 定価:514円

 最近では、新聞やテレビでクローンや遺伝子、ガン、鳥インフルエンザ、生物多様性、進化、ヒト化石など生物学に関する話題は多いものの、高校の生物の教科書では、これらの話題に対してわかりやすく正しい知識が書いてないことから、筆者はこれらの話題を包括するように生物学のカテゴリーにしたがって、わかりやすく解説している。進化については、自然選択説を否定し構造主義の立場で、私には新鮮だったが、構造主義の詳細が書かれてなかったので、進化の本質について十分に理解できなかった。
 


2004/09/01登録
「地域の自然」の情報拠点 自然史博物館
編著者:環瀬戸内(中国・四国地方)自然史系博物館ネットワーク推進協議会
ISBN:4-7711-0443-3 定価:1,890円(税込)
判型:A5版 並製 172ページ
高陵社書店

 平成12〜13年度にわたり、文部科学省の「科学系博物館活用ネットワーク推進事業」のそとつとしておこなわれた、環瀬戸内(中国・四国地方)自然史系博物館ネットワークの活動を紹介した本です。地域の情報拠点として、自然史系博物館が学校や地域とどのように連携していったらいいのか、またそれらの地域の自然系博物館がどのようにネットワークを組んでいけるかの試行を示した画期的な実践報告です。

 広島県には静岡県と同様に自然史博物館がなく、「広島に自然史博物館を」という活動があることを知りました。MMLのメンバーでもある大阪の佐久間さんが中心となり、徳島の小川さんも参加した実のある推進事業で、現在も発展していると思います。



2004/07/02登録

地球生物学
地球と生命の進化
池谷仙之・北里 洋 著
東京大学出版会 228ページ 3000円

 地球科学、特に地史学の分野で、一般向けまたは大学での基礎学習に活用できるよい教科書が最近ないことに私は悩んでいましたが、この本はその私の悩みを解消してくれるものになりました。

 この本は、現在は法人化のため改組されてなくなったものの、地球と生物を融合した分野として、1995年に創設された静岡大学理学部生物地球環境学科の創設理念にしたがってつくられています。内容は、著者たちの学科での入門的な授業科目といくつかの専門科目の講義録が下敷きとなっているためか、地球と生命の歴史やそのかかわりについて、語りかけてくるような印象で、たいへんわかりやすく書かれています。各章に配置されているBox(かこみ記事)やイラストも楽しく、地球科学や生物の歴史にあまり関心のない方でも、おそらく気楽に読むことができると思います。

 地球科学や生命科学についての最近の研究の全般的に理解するためにも、お勧めの一冊と言えます。

2004/07/02登録

標本学
自然史標本の収集と管理
国立科学博物館 編
東海大学出版会 250ページ 2800円

 現在静岡県では自然学習資料保存事業を行っていますが、ちょうどその事業にぴったりな本がそれもタイムリーに出版されました。

 この本では、植物から動物、地学にわたる自然史標本についての、その収集と標本化、さらに保管と管理、登録とデータベース化などについて、実際に博物館でどのように行われているかという実例をもとに、詳しく解説されています。

 各分野の執筆者は、国立科学博物館を中心に他の博物館の研究者や学芸員が担当しています。各分野で収集から標本化、または受入れから登録、標本の保存など、重点をおいて書かれているところはさまざまですが、博物館で保存管理されている標本がどのように収集され、受入れされて、標本になり、さらに登録、管理されているかなど、全体像が十分に理解できます。また、それぞれの分野については、その標本化とその管理の詳細がマニュアル的に実際にあわせて解説されていることから、標本を取り扱う者にとってとても役立つものとなっています。

 この本は、自分の専門分野の標本の取り扱いについて再確認するためにも、また他分野の標本の取り扱い方を知るためにも、重要な一冊になると思います。


2003/07/20登録

科学 2003年6月号
特集 検証中生代の東アジアで何がおこったか
−化石が語るジュラ紀・白亜紀の世界像
Vol.73, No.6, 651-695, 定価1200,岩波書店

この特集では、京都大学の瀬戸口烈司教授と中国科学院古脊椎動物古人類研究所の王元青副所長らによる日中共同研究プログラム「東アジアの白亜紀前期哺乳類研究」の経緯と中間報告が紹介されています。10年前に中国遼寧省の義縣累層から孔子鳥をはじめ保存のよい鳥の化石が多量に発見されましたが、義縣累層を含む鳥や恐竜、哺乳類などの保存のよい化石の産出する熱河層群とその化石、および時代論がこの特集のテーマになっています。孔子鳥にはじまるここ10年の鳥と羽根をもつ恐竜や、中生代後期の哺乳類と被子植物の発展など、最新のデータのレビューが行われています。


2002/11/05登録

National Geographic
恐竜大図鑑 よみがえる太古の世界
ポール・バレット著 ラウル・マーチン=イラスト
日経ナショナルジオグラフィック社
192Ppp. 2800円+税

幕張メッセでの恐竜展のショップで売っていた恐竜大図鑑。
記念恐竜フィギアーといっしょに購入。第一部「恐竜の世界を知るために」では恐竜に関する解説があり、第二部の「恐竜たちのプロフィール」では現在知られる375タイプの恐竜のうち53タイプの恐竜について、全身や特徴ある部分の骨格写真やイラストとともに生息地域や人との大きさの比較も含めて解説が見開きページで展開されている。イラストもきれいで恐竜に興味をもつ人であればぜひ座右に備えておきたい本である。


2002/07/21登録

Marsh's Dinosaurs
The collections from Como Bluff
J. H. Ostrom and J. S. Mcintosh
Yale University Press $90.00
416 pp. 168 illus.

 1870年代にワイオミング州のコモブルフのジュラ系から発見されマーシュによって記載された恐竜や哺乳類の化石のリストと現在までのそこでの研究成果の概要について書かれています。この本の特徴は、半分以上のページをさいてマーシュによって記載されたディプロドクスとステゴサウルスの骨化石の図版が再録されていることです。骨ひとつひとつの精巧なスケッチをじっくりと見ることができます。


2002/04/30登録

里山の自然をまもる
石井 実・植田邦彦・重松敏則 著
築地書館 1800円(税別)

里山の自然を失うことは、日本的な自然や動植物を失うことであり、私たちは今、里山の都市化や中山間地の過疎化により日本の自然そのものを失いかけている。希少生物の保護は、その生物の生息地なしでは守れない。すなわち、現在価値を失った里山をなんとかして確保し、現代的な価値をもたせて恒常的に管理しつづける努力が必要である。

この本では、里山の生態系とその現状、そして保護のしかたについての提言が述べられている。里山の自然を守ることは、そのことだけでなく、私たちが自然や人々とこれからどのような社会をつくっていくかということにも関係している。


2002/01/21登録

地域博物館への提言 討論・地域文化と博物館
川添 登・監修 日本展示学会
展示学講座実行委員会・編集
ぎょうせい 239頁2,667円(税別)

 日本では現在でも一年間に200以上の新しい博物館がつくられていて、それらの博物館の展示製作にあたる展示業者の技術は世界水準にあると言われます。たしかに、ここ10年間に日本全国には多くの地域博物館がつくられ、すばらしい展示を私たちに提供してくれています。

私は博物館の学芸員ですが、展示学というものは博物館の標本や情報を来館者に見せるための単なる展示に関する技術であると思っていました。しかし、この本を読んで驚いたことは、博物館の展示を実際につくる方々が、博物館に深くかかわり、単に展示だけを製作していたのではなく、博物館そのものの意義や運営に関するデザインまで思いをめぐらしていたことでした。

「博物館の目的の第一は学術研究にある。」とか、「博物館は施設でなく、機関である。」、「博物館はどうゆう人のために、どういうことを、どのように、どのような人がサービスしなくてはならない機関かを基本構想の段階で明確にすべきである。」など、展示をする以前に本来博物館をつくる側、運営する側、または博物館を必要とする側が考えなくてはならない基本的問題が、この本では具体的事例とともに議論されています。

その意味で、博物館の展示は博物館の目的や機能と切り離して考えられないものであることを強く再認識させられたと同時に、博物館をつくる人や運営する人、そして利用する人たちに、この本を是非とも読んでもらいたいと思いました。


2001/08/26登録

ワニと龍 恐竜になれなかった動物の話
青木良輔 著 (平凡社新書 91)
定価:本体 740円  240頁  2001.05

こちらワニキチの青木さんの本。私は龍年の生まれで、龍が実在の動物という著者の見解に 干支のよりどころを得たと同時に、龍の正体といえる静岡県引佐でも発見されているマチカネワニに興味を持ちました。また、ワニからの発想で、恐竜をみた話にも「な〜 るほど」と考えさせられました。

ワニには唇がないことから、「ティラノサウルスは歯を見せない」と「ハドロサウルスのトサカ」では、吸気の水分管理の重要性を示し、ワニのまぶたの観察から、植物食恐竜の顎の構造と頬の検討に発展していくなど、論理的でその発展の面白さに舌をまきながら読みました。ラプトルの鍵爪の話も納得で、あの長い尾についても以前から気になっていましたが、樹幹移動のための適応と断言され、すっきりしました。もっと、恐竜についての議論を読みたかったのですが、もともと恐竜の本でないのでしかたありません。龍やワニについての奥の深い(最近の意味ではなく)話を読むことができました。

 カメとワニときて、さて今度はトカゲと鳥の本を読まなくては・・・。


2001/08/24登録

恐竜たちの地球
冨田幸光 著 (岩波新書 637)
恐竜の骨格のカラー写真が多く、最新のコンパクトな恐竜図鑑。ここ5年で恐竜の分類も大きくかわりましたが、その経過や新しい分類法にしたがって恐竜の各種類の特徴などが解説されています。

あたらしい分岐分類法にしたがった分類では、恐竜と鳥類は同じ竜盤類のマニラプトル類に分類されます。この経過についても分りやすく解説されています。読み物というより、図鑑・教科書といった感じですが、恐竜については最近の情報がぎっしりつまった、必要な1冊です。


2001/08/23登録

最新恐竜学
平山廉 著 (平凡社新書 011)
定価:本体 760円   280頁  1999.07

カメキチ廉ちゃんの恐竜の本。爬虫類化石の研究者らしく、恐竜や鳥、地質時代の環境や古生態などきちんととらえて、恐竜に関する疑問に答えてくれる本です。特に、ドロマエオサウルス類やオビラプトル類を含むマニラプトル類を恐竜からはずして鳥としたところや、巨大な恐竜骨格のしくみを腰を頂点とする「つり橋構造」で脊柱を支えていたとして考察している。

爬虫類は恐竜を含め、省エネ型の動物で、とても暖かく哺乳類にとっては厳しい環境の中生代の地球には適応していたから発展できたという著者の考えには同感です。二酸化炭素の問題も中生代後半における海洋での石灰質殻プランクトンや硬骨魚類の発展は、白亜紀後期からの被子植物、哺乳類、鳥類の発展と密接に関連していたことも、恐竜の盛衰ととても関係していることと思います。プレート説以外では満点。古生物学者がまだ日本にはいたのだということを実感しました。

廉ちゃんとは、私が地質学会奨励賞を受賞した夜に京大古生物学教室の院生連と飲んだ時にはじめて会った。その飲み屋には池があり、その池にカメがいて、彼はそのカメたちと遊んでいた。



ガリレオの求職活動 ニュートンの家計簿

佐藤満彦著 中公新書
定価:840円

ルネッサンス期のレオナルドダビンチから、コペルニクス、ガリレオ、ケプラー、さらにニュートンなどの15世紀後半から18世紀末までの科学者の生活と仕事に焦点をあてて、人間としての科学者を客観的に描くことによって、科学の歴史をさらに理解することができます。このころの科学者にはいろいろと興味がありますが、ガリレオの「それでも地球はまわっている」など伝説的な逸話を、伝説として現実のガリレオを解説するなど、筆者も言っていますが、従来の見方とは反対の見方をするようにして、できるだけ歴史上の人物の生活から彼らの人格を理解しようとしています。



恐竜娯楽白書 食玩恐竜フィギュアオールカタログ
実業之日本社編 実用百科
562円(税抜き)
最近、「ダイノモデルス」「チョコラザウルス」「ダイノワールド」など、恐竜フィギュアつきお菓子(お菓子つき恐竜フィギュア)が話題ですが、そのカタログ本です。こちらも「チョコラザウルス」と「ダイノワールド」は収集中です。



インターネットは儲からない!
橘川幸夫著 日経BP社
1600円+税

これからの「つながりっぱなしの世界」では、これまでの距離の間にたって差益を生み出しいていた近代ビジネスは成立せず、量の拡大だけを目指していた戦後社会のマーケッティング論も崩壊する。これからは直接参加型の時代がきて、利潤よりも個人が何をしたいか、社会のために何をするべきかが問われる時代です。この本から新しい世界が見えてきます。

やはり、著者はネットの人で、共感するところばかりだった。そして、著者のビジョンは、「第三の波」の具現化のひとつとして、とても興味をそそられた。「インターネットは儲からない。だったらどうしたら儲かるのか」、そのことを教えてくれる本だった。著者は対立の中に世の中の仕組みを考察する人で、西武と東急、トヨタとニッサン、長嶋監督と野村監督など、目からウロコ的な発想もおもしろい。



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